私は某大学のサークルに所属しているのですが、ひとつ下に、Bという後輩がいます(BAKAのBです)。
うだる様な暑さの昼下がり、Bが私のアパートにやってきました。
妙に神妙な顔をしていますが、ロクでもないことを言い出す時は大体こんな顔をしています。
「先輩、つらつら考えたんですけどね」
ほら来た。
「幽霊を祓うのは、そう難しいことではないと思うんですよ。少なくとも、男である我々ならば」
はい?
「幽霊ってのは、陰か陽かと言えば、もちろん陰ですよね」
何を言ってんだ?
「即ち、陽である何かを見せつけてやれば、あいつらは退散するってことです。…聞いてます?」
聞いてる。
「男には『陽○』なる器官がありますね」
聞きたくないんだが。
「即ち!!」
うるさい。
「幽霊に対する決定的な武器を我々は持っているのです」
その器官は「陰○」と呼ばれることもあるが?
「体全体の中では陰という意味ですよ。幽霊に対しては間違いなく陽です。無敵です」
いやその理屈はおかしい。
「俺はこの光の剣を抜き放ち」
うわあ。
「邪霊を倒す勇者になりたいのです!!」
ルビスに謝れ。
「というわけで○○山に行きましょう」
断る。
「…もしかして」
ん?
「怖いんですか?」
何だと?
「とりあえず、歩き回りましょうか」
昼間の蒸し暑さに較べれば幾分かはマシなのでしょうが、体中から出る汗は相当のものです。何よりも山中に立ちこめる重苦しい雰囲気は、得体の知れない何かによってもたらされていると思わざるを得ません。光と言えば二人が持つ懐中電灯ばかり。ここは、ただただ恐ろしいのです。…隣にいるのがこいつでなければ。
「先輩、これは俺の戦いなんですよ」
そうだな。
「先輩はあくまで見届けるだけ。いいですね」
それはもう。
「この戦いが終わったら、俺、キョーコに告白しようと思うんです」
死亡フラグ乙。
「…それにしても、いませんねぇ」
かれこれ一時間ほど歩いたでしょうか。懐中電灯の光に気持ちの悪い虫が寄ってきて、不快でたまりません。軽口を叩いていたBからも、暑さに参ったのでしょう、吐息が聞こえるのみです。いい加減、疲れてきました。
…山中で不幸な事件があったのは事実ですが、そもそも幽霊などという非科学的なものが存在している筈がありません。Bに乗せられてここまでやってきましたが、そろそろ潮時でしょう。
そう考えて、少し手前を歩くBを呼び止めようとした時、Bが急に立ち止まりました。
Bは前を向いたまま少し後ずさりし、私の隣に来ると、前を指さしました。
「せ、先輩。あ、あ、あれ…!!」
後にも先にもあれほど驚いたことはありません。明らかに人影らしい何かがこちらに近づいてきたのです。
ほのかに光を放つ謎の人影の歩みはのろく、しかし確実に私たちの方を目指しています。いつの間にか私の耳には女性のつぶやく様な声が聞こえはじめました。
何を言っているのかまでは聞き取れませんが、痛烈な悲しさが籠もっていることだけは分かりました。
近づきつつある人影の輪郭がはっきりするに従って、私の体は動かなくなっていきました。
人影が女性であることは、もう疑う余地もありませんでした。ワンピースに身を包んだ細身の女性。少しうつむき加減になっているため、表情までは分かりませんが、口は絶え間なく動き、しきりに同じ言葉を吐き続けています。私の耳に先程から聞こえていた声は、今やはっきりと聞き取れるほどにまで大きくなりました。
「どうして」
「どうして」
「どうして」
「どうして」
「どうして」
「どうして」
彼女は一歩一歩、ゆっくりではありますが確実に我々の方に近寄ってきています。
極限の恐怖は私から行動の自由を奪っていました。
我々と彼女の距離、5メートル。そこで彼女は立ち止まり、ゆっくりと顔を上げました。
「どうして…どうして…どうして…」
物悲しさを感じさせる彼女の声は、次第に怒りを含んだそれに変わりつつありました。
無表情に「どうして」を繰り返していた彼女の顔も、いつの間にか怒りに充ち満ちた表情になっています。
「どうして。どうして。どうして」
「どうして!!どうして!!どうして!!」
既に気を失いかけていたことを告白しておきます。今から自分が殺されることを、何となく受け入れていました。
彼女が再び私たちに近寄ろうとした時。彼女の形相が一変しました。何かとてつもなく驚いた様子です。
二、三歩後ずさりした彼女の目線はBに向けられていました。驚く幽霊なんぞ聞いたこともありませんが、彼女は明らかに驚き、そしてまた怯え、Bを、正確にはBの腰から下を見ています。
腰の下?
Bの声が山中に響きわたりました。
「見ろ!!」
嗚呼、まさしくBは勇者でした。恐怖に身を竦める私を尻目に、彼女の方へ一歩踏み出したのです。
モロ出しで!!
あっぱれおとこ益荒男。
くたばれ変態馬鹿野郎。
「光の!!」
ぷるんっ
ぴたんっ
「剣!!」
ぷるんっ
ぴたんっ
「ひかりのおおお!!」
ぷるんぴたん!!ぷるんぴたん!!
「つるぎいいいい!!」
ぷるんぴたん!!ぷるんぴたん!!
ぷるぴた!!ぷるぴた!!ぷるぴた!!ぷるぴた!!
私に死を覚悟させたあの恐ろしい彼女は、もうそこにはいませんでした。
私の目の前にいたのは、恐怖におののき涙目になっている女幽霊と、狂った様に腰を左右に振り続ける妖怪ぷるぴただけでした。
地獄絵図でした。
哀れな彼女。死を選ぶに至った自らの運命を「どうして」の一語に込め、夜な夜なさまよい続けた彼女は、泣いている様な怒っている様な表情で後ずさり、Bの腰の下を指さし、「どうして…」とつぶやいて消えてしまいました。
…助かった!!
へなへなとその場に崩れ落ちそうになった私ですが、後輩の手前、それだけはこらえました。
「見てましたか、先輩!?」
ああ。すごかったよ。出来れば少し離れてくれ。ところで。
「何です?」
いつ出したんだ?アレが目の前に来た時はお前も固まっていたんじゃないのか。
「え?最初からですよ?」
え?
「いつ出くわしてもいい様に、山に着いた時点で出してたんですよ。気付かなかったんですか?」
いや、残念ながら…。
「それより、仕留め損ないましたね。悔しいなぁ」
Bはがさごそと藪をかき分けて叫び始めました。
「こら~!!出てこ~い!!逃げるな~!!」
真夜中の山中でモロ出しのまま叫び続けるBと、それをただただ見守る私。新たな怪談が○○山に生まれたのかも知れません。
オカルト好きの人には残念な話でしょうが、あれ以来、どうやら○○山に幽霊が出ることは無くなったそうです。成仏したんでしょうかね、彼女。そうだといいなぁ。ま、それはさておき。
真夜中のモロ出しから二日後。サークルに顔を出さないBのことが少し気になり電話してみました。
「ああっ先輩、助けて下さい!!」
どうした。
「蚊に刺されまくったんです…。」
俺もだ。
「いや、ですから…」
ん?
「出しっぱなしだった光の剣が…」
…。
「もうなんか呪いの武器みたいになってるんです」
……。
「気が狂いそうです。何かいい薬はありませんか…!?」
ガチャッ、ツー、ツー、ツー。
馬鹿につける薬は無い。
やはり真理でした。
キョーコにはフラれたみたいです。