それは、成仏してあの世へスムーズに上がるのは、本当に大変らしいという事です。
ある時、とある女性が、亡くなったばかりの祖母を視てほしいと私と霊能力のある友人の元を訪れました。その女性を通じてその方のおばあさまの様子を霊視してみましたら、その女性のおばあさまは、死んだことに気づかない状態で、この世とあの世の間をさまよっていたのです。
私と友人とで、そのおばあさんに、死んだことを悟らせ、それから霊界へと導きました。
事故死、病死などで苦しみながら亡くなった霊は、自分が亡くなった事を悟れず、その「苦しみ」の時間のまま時が止まり、ずっと苦しみ続けている場合があります。また、即死の場合も死を悟る事が難しかったりします。しかも、そういう霊が少しならいいのですが、案外そうした霊体は、多く存在するのです。
私は様々な不成仏の霊体と接してきて、成仏できていない霊が、結構多いのを感じ、成仏の難しさを感じる事があります。
また、自殺をした人は暗闇の中にいて、死んだら迎えが来るはずなのに、死ぬ時の寿命に達していないからということで、あの世からの迎えが来ず、ずっと暗闇の中にいる場合が多いです。
私の知人の話なのですが、私の知人は、沢山の睡眠薬を服用し、自殺未遂を行ってしまったそうです。
薬を大量に飲んで眠った後、知人は暗闇の中にいて、それから胃洗浄され、目がさめたそうです。
こうした事から、寿命に達していないのに自ら命を絶つと、暗闇の中へ放り出されるようです。私の、霊視をいっしょにしている友人によると、自殺すると、その人の寿命が来るか、能力者に浄霊してもらうまで、ずっと暗闇の中で過ごさなければならないようなのです。
そうした事などから、成仏するということは、本当に大変な事らしいと思わされます。
成仏することは、本当に大変なのですが、その他の苦しみもあるそうです。私の母が病院の看護婦に聞いた話によれば、人は死ぬことも大変なのだそうです。
死んで全ての機能が停止するその瞬間に至るまで苦しみ続けなければならない人もいるという話を母から聞きました。
その話を聞き、病気で死ぬことも、本当に大変な事なんだなと感じました。
こうした死ぬ瞬間の大変さや、なかなか成仏できない霊が多く地縛霊や不遊霊と化しているのを知るにつけ、この世は本当に修行をするための厳しい場所であると悟ってしまう今日このごろです。
死ぬのも、霊になって彷徨う事も大変ですが、生きてゆくこともまた、大変なものです。
私は気が弱い性格のせいか、数多くのいじめに遭遇し、沢山いじめられてきました。それから、台風が来たり低気圧が来たり、湿気の多い梅雨の時期に、特に生きづらさを感じたりします。
気圧に敏感で影響を受けてしまう私の体は、天気が悪いと動く事で関節が痛んだり、体が重く感じたり、体を動かすのが大変な時があります。その時、私はいっそのこと、この体というものが無く、意識だけの存在ならば、一瞬で行きたい場所に移動できたりするのにな、と強く感じる事があります。
私がこういう感じ方をするのは、一種独特の思想感のようですが、これは、魂だけの存在になる、幽体離脱を体験した私だからこそ、言える事なのです。
幽体離脱を経験したあの時には、一瞬で、行きたい場所へと行けたので、そうした風にもう少し楽に移動できればいいのに、と思う事がよくあったりします。
ですが、そうした肉体を着た「この世」ならではの苦労を経験するため、私たちは生まれ落ちてきたようです。そうした大変さは、この世でしか味わえない尊い経験で、その瞬間瞬間を生き生きと楽しむ事が大切なのではないかと感じています。
そうした事をいつも心に秘めながら考える時に、私は、他の物質主義の方々とは違った角度から物事を見て過ごしています。
やはり、人間や他の肉体を持った生物たちは、魂が本質的なものですので、それを悟ることが大切なのかもしれないと、感じさせられる事があります。
それにしても、この宇宙は、本当に厳格だなと日々感じています。
他の方もまた、密かに、そういう考えを持っているのかもしれなく、こうした考えは、私だけではないのかもしれません。