俺の生まれ育った町は四国の田舎町で、俺が小さかった頃はまだ旧い風習や考えが残ってた。
俺の生まれ育った町は四国の田舎町で、俺が小さかった頃はまだ旧い風習や考えが残ってた。
例えば幼馴染みに双子がいるんだけど、それを年配の人は"忌み子"として嫌っていたり、五感や身体に傷害がある子を"欠け子" と呼んだり。
つまり普通には生まれてこなかった子(こう書くと大変失礼で、お怒りになられる方は多いとおもいますが) を忌み嫌う風習があった。
今ではほとんどないらしいが昭和の終わりまではあったと思う。
町自体がかなり小規模なこともあり、そういう子が生まれるとすぐに噂は広まる。
迫害を受けるようなことはなかったようだけど、後ろ指さされたり、遠ざけられたりということはあったようだ。
となると、そういう子は生みたくない。
そこで妊婦さんに"普通の子" を生んでもらうためのあるまじないがあった。
それがこの地域に伝わる"被猿"という風習だ。
これは妊婦さんのいる部屋や病室に木彫りの猿を置き、
"忌み子"や"欠け子"の基になるとされる陰の気(災い)を代わりに被ってもらうというもの。
簡単に言えば身代わりだ。
昔は障害児が生まれたり、災害があると、それを神や悪霊、呪いなど目には見えないものに無理矢理結び付けていた。
"被猿"もまたそういうものだろう。
しかし今思えばそういった風習が20年ほど前までの日本に残っていたのはすこし怖い。
話が逸れたが役目を終えた被猿は土深くに埋められる。
燃やすと空気に混じって災いが飛散するからダメ。
どこかに封じても誰かが持ち出すかもしれないからダメ。
水の中は神聖な場所だから土の中が一番らしい。
ある日祖母に聞いてみた
「土に埋めても土から災いがやって来るんじゃない?」と
「確かにね。でも土は長い時間を掛けて災いを薄めてくれる。
だから一番いいんだ。でもね、忘れちゃいけない。
命は土に還り、花を咲かせたりして循環するだろう?
災いも同じだ。決して消えるわけじゃない」
被猿は掘り起こされないために決まった場所にまとめて埋めない。
つまり今俺の足下にも埋まっているかもしれない。
そう考えるとほんのり怖い。