時と場所を隔てて、炭焼きに関する話を二つ聞きました。
かつて、山奥の小屋に泊り込んで炭を焼く杣人が全国各地に居ました。
専門の職人ともなると、籠りっきりで炭を焼くこともあります。
一家の主が、そんな風に炭焼きを生業とする場合
出来上がった炭を里へ運ぶのは女房の役目でした。
朝早くに食事などを持って小屋まで登り、夕方には炭を担いで戻ってくる。
かなりの重労働ですが、短い時間でも夫に会って顔を見ることができる
それを楽しみに、せっせと山に入る女房も多かったようです。
そんな生活を送っていた夫婦に関する話です。
兵庫県で聞いた話
ある日、小屋へ向かった女が夜になっても帰って来ませんでした。
不安にかられた子供達が隣家に駆け込んで事情が判ったのですが
既に夜も更けていたので、捜索は明朝ということになりました。
明けた翌朝、数名の男達が女を探すために山に入りました。
炭焼き小屋まで登った村人達がまず見つけたものは
窯の周りの地面を赤黒く濡らした大量の血痕でした。
女と炭を焼いているはずの夫の姿はどこにも見当たらず
大声で名を呼んでも返事はありません。
その時、小屋の近くに生えている大木の梢から
ガサガサと枝の擦れるような音が聞こえてきました。
村人達が音の方向を見上げると、大きな木の梢に
人が二人引っかかっているのが見えました。
おそらくは件の夫婦であろうその人影は
枝の上で横になりダラリと腕を垂らしたまま
どう見ても生きているようには見えません。
と…そのうちの一体がもぞりと動いたかと思うと
おもむろに声を上げはじめました
「おまえ~・・・・おまえ~・・・・」
誰かに呼びかけるように体を起こしたかと思うと
高い枝から無造作に身を投げ、どさりと地面まで落ちてきました。
体は地に伏せているにもかかわらず、頭が180度反転していて
空を向いたその顔は、山に篭って炭を焼いていた男のものでした。
やがて、そいつは腕や足をてんでバラバラに動かしながら
存外な速さで村人達の方へ這い寄ってきました。
「おまえ~…おまえ~…オマエーオマエー」
恐怖に駆られ、我先にと山を駆け下りた男達の後ろから
「オマエーオマエーオマエーオマエー」
と機械のように繰り返す声が追いかけてきました。
後に、鉄砲を持った男達が小屋のところまで登ってきた頃には
地面を這っていた男や木の上の亡骸は姿を消しており
夫婦の行方もふっつりと絶えました。
山形県で聞いた話
ある朝、妻が夫の詰めている炭焼き小屋に行ってみると
炭窯の前で夫が鹿の死体に頭を突っ込んでいるところに出くわしました。
驚いた妻は声を掛けたものの、血まみれの口いっぱいに臓物をほおばり
虚ろな目をしてこっちを見やる夫が正気ではないことは一目瞭然です。
慌ててその場を逃げ出した妻を追いかけ、夫は山を下りて里に入りましたが
人々が松明を持って集まってくると、火を恐れたのか再び山へ戻っていきました。
それ以来、夫は行方不明となり、妻は出家して尼寺に入ったということです。
ここからは私の蛇足です。
私も家業の関係でかつては炭を焼いていたのですが
正直なところあまり好きな仕事ではありませんでした。
父親から、炭焼きの最中に祖父が奇怪な死を遂げた
という話を聞いていたこともあって
炭焼きは怪異を呼び込みやすいのではないか?
という考えをぬぐいきれなかったのです。
炭焼きは、時に夜を徹して行わなければならない作業です。
しかも、木が燃える音、煙の色や臭い、窯の温度などで
中の状態を逐一モニターし続けなければならないので
長時間にわたって感覚を研ぎ澄ませておく必要があります。
が、作業としては静的で、伐採などに比べると変化に乏しいので
深と静まり返った真っ暗闇の山中で、独り炭を焼いていると
自然と感受性の鋭敏な精神状態に陥りがちです。
私は通いで焼いていましたから、そんな状態は長続きしませんでしたが
それでも奇妙な音を聞いたり気配を感じたりしたことが多々ありました。
ましてや、何十日も泊まり込みで炭を焼く職人のなかには
精神に異常を来す人が居たのかもしれません。
あるいは、山の魑魅魍魎に魅入られてしまう人も…
我ながら幼稚な考えだと思っていましたが、この話を聞いたときには
自分の考えが案外的を射ているのではないか、と思った次第です。
また、話をまとめている最中、次のような要素が気になりました。
・何かに取り憑かれ、獣のような行動をとる
・死んでいるはずなのに動く
・火を怖がる
・獲物を高い場所に置く
・尼寺に入る → 髪を切って坊主になる
これらは、所謂「ヒサルキ」「自己責任」に通ずるように思えるのですが
どうなんでしょうね。