大阪で一人暮らしをしていた大学生の頃の話です。
成人して以降、オカルトの類とはほとんど無縁な人間なのですが、信じていないわけではありません。
友人に細田という者がおります。四年間を共に過ごした悪友です。怪奇が起こった日、細田が夢に出ました。二人で遊園地に来ていて、ジェットコースターに乗っていました。
散々ふざけていたのですが、僕はふと悪戯を思いつきます。
Tシャツを二枚重ねて、下のシャツに奴への悪口を大量に書いたものを隠しておき、
帰りに上のシャツを脱いでそれを見せるという、やけに陰険で悪質なものです。
帰り道に実行に移したところ、普段の細田からは考えられないほど不機嫌になり、
こちらもやりすぎたな、と気まずくなる。というところで夢は終わります。
ワンルームマンションの床に直に敷いた布団の上、枕の後ろは壁で、窓があります。
少し首を反らすと、濡れたガラスの向こうに灰色の空が見えます。
逆に頭を起こすと、その先には扉と土間が見えます。十畳間でのいつも通りの朝です。
しかし、右手にある台所から物音がします。一人のはずなのですが。
でも誰が。
足音がします。いえ厳密には、誰かが台所を往復している気配を感じます。
気配が止まりまた音。首を回して見ようとした瞬間。がっ、と誰かに横顔を押さえつけられる感触がしました。誰でもありません自分です。
無意識がその方向を警戒し、絶対に見てはいけないと制止をかけたのです
気配はまだ台所にある。あれはなんだ。できるだけ冷静に分析しました。
シンクを指で叩く音ではない。窓枠をつたった雨がサンに落ちる音だ。
あるいは蛇口がゆるみ水が漏れている。では往復する気配はなんだ。
いやそんなものはない。音から人影が連想されただけだ。
では怪奇現象など何一つないじゃないか。
そう思っても、どういうわけか体が動きません。寝起きに金縛りなんてのは、別に霊象ばかりの話じゃない。
そう思ってみるのですが、やはり僕はおびえ続けていました。
「腹減ったな」
声がしました。しかも細田の声で。
昨日家に泊まっていたのか。実際深夜に突然やってくることもざらでした。
目を動かして細田がいつも鞄を置く壁際を見ますが、何もありません。土間には、靴もない。
「なんか作ろかな、でもくにちゃんも腹減ってるか」
僕のあだ名まで喋る声は、間違いなく細田のもの。ですが、彼が昨日いた記憶も靴も鞄もない。
聞こえる内容は大したものではないのに、異様さを感じて緊張が解けません。
それっきり何も喋りません。往復する気配もなくなりました。
ひと思いに体を起こし、台所に踏み込み、部屋中を見渡して、恐怖を振り払うため、無意味な行動を思いつくまま一気にとってみました。
部屋にはなにもおらず、先ほどの気配も謎のままでした。
時刻は午前五時。心細さが消えないので、つけっぱなしだったパソコンに飛びつき、
スカイプをつかってこんな時間にも平気で起きている後輩にチャットを飛ばしました。
「頼む、ちょっと通話してくれ!めっちゃ怖い夢見た!」
返事はすぐに返ってきて、通話はすぐにつながりました。
後輩はなにやら笑っています。そして、え、え、と何度も何かを聞き返してきます。
「え、くにさん?」
「川田、川田?」
「あ、あ、ああ、オッケーです。なんすかもう、めっちゃ楽しそうですね」
「なにが」
「いや、人来てるんすか」
「お前な。洒落なってないぞ」
川田が言うには、関西弁でやけに楽しそうに喋る声がずっと聞こえていた。そのせいで、僕の声がほとんど聞こえなかった。
誰も来ていないこと、先ほどのことを話し、二人して肝を冷やしました。
正直、川田にこんなことを言われさえしなければ、僕は手ひどく寝ぼけていた、そのため現実にまで夢を引っ張ってしまった。
ということで話を解決するつもりだったのです。
しばらく川田には話し相手になってもらい、気を落ち着かせるのを手伝ってもらいました。
ちなみに、細田はその後二週間以上にわたり学校に現れませんでした。
でもそれは、事故や病気ではなく、「マジでなんもしたくなかった」とのことでした。