引用元: ・ほんのりと怖い話スレ その74
ちょっと長いかもしれないが、話半分程度にお付き合いいただけたら幸い。
俺の母方の実家と言うのが本当にド田舎で、
今でこそ山の上の方に高架道路なんぞが通っているが昔は、
山間を縫うように走る狭い道に、沿うようにして家が並んでいて、
村と言うよりは集落と言ってもいいような、そんな場所だった。
そんな場所だからかは知らないが、昔話やら伝承やら、
そう言った類の胡散臭い与太話には事欠かずかく言う俺も、
子供の頃からここを訪れるたびに少なからず胡乱な体験をしていたりした。
あれは両親の盆休みが終わっても、ひとりで数日の間は泊まるようになっていたから、
小学生の高学年かもしくは中学生の始めの頃だったかと思う。
その日は朝からずいぶんと暑く、俺は婆ちゃんの家の敷地内を流れる川べりで、
魚やら虫やらを採るなり、涼むなりをして悠々自適に過ごしていた。
川と言っても石壁で両脇を囲われた用水路のようなもので、
水位は当時の俺の足のすね中程まであるかないかだが両脇の壁自体がえらい高く、
川底に降りれば大人でもすっぽりと隠れてしまうくらいある。
もっとも玄関から出てちょっと左に行った所にある石階段を降りると足場があって
自由に降りることができるから、そんなに危ないと言うわけでもない。
村に水道が来る前までは、ここで野菜やら何やらを冷やしたり、
ちょっとした洗い物などをしていたらしい
そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ、夕方に差し掛かった頃だろうか、
どこからか強い風が吹き始め、陽が沈む頃には雨を交えた
それが轟々と唸りをあげながら猛威を振るっている。
その日、俺は婆ちゃんの家に通い始めてから初めて、
そこでの台風と言うものを経験することになった。
いつもなら夏休みとお泊りの特権を活かして23時くらいまで、
爺ちゃんとテレビなんぞ見ながら過ごすが
今日は天気が天気だ。
アンテナの調子もずいぶんと悪いらしく、そもそもテレビがまともに映らない。
21時を回る頃には夜更かし派の爺ちゃんも自室に引込み、
俺も自動的に布団を敷いた座敷に押し込められる事となってしまった。
だが、台風の夜特有の変な興奮と、婆ちゃんの家での初めての台風と言う
二つの要因が俺のテンションを変な所に押し上げてしまい、なかなか寝付けない。
座敷の電気を一応消して、代わりに爺ちゃんの部屋から借りてきた電気スタンドの灯りを頼りに、
家から持ってきた漫画を読みふけりながら、雨の音、風の音、家鳴りの音に胸がドキドキする。
それでも2、3時間もすればやがて眠気がまさってくる。
少しずつうとうととし始め、しばらく意識がぷっつりと途切れたかと思った頃、
俺はその奇妙な音を確かに聞いた。
「かあん かあん」
雨と風と時々の家鳴りに混じって、そんな音が聞こえる。
小さな鍋底を棒で叩くというか、それよりはやや響きがあると言うか、
音としては仏壇でお経を上げる時に使う、小さな木槌みたいなので叩く平たい鐘?に近い感じだった。
それが、風のうなりや雨音が鳴り響く中遠くから、だけどはっきりと聞こえてくる。
最初、自警団が見回りでもやってるのかな? と思ったが時計を見ると既に午前の2時。
上手く説明は出来ないが、兎に角何かおかしいな、と思って部屋を出る。
俺の止まっていた座敷は、婆ちゃんの家でも奥まった場所で、
とりあえず道路に面している玄関の方へ行ってみようと思った。
思ったのだが、
その音は何故か後の方から聞こえる。
振り返るとそこにはカーテンの引かれたガラス戸があり
ガラス戸の向こうには裏手に広がる庭と、
そして昼間に遊んだ川が見える筈だ。
「かあん かあん かあん」
少しずつ音が近づいてくる気がして、俺は恐る恐るカーテンの隙間から外を覗く。
風雨の吹き荒れる庭と、背の高い壁に囲まれた川。
そして、
「かあん かあん かあん」
あの小さいが妙に響く鐘の音。
そのままじっと眺めていると、だんだんと音が近づいてきて、視界の隅で何かが揺れた。
……灯り?
川の方で小さな灯りがゆらゆらと揺れているのが見て取れた。
懐中電灯のような指向性のあるものではなく、まるで提灯か何かを下げているような
そんなぼやっとしたものだ。
川の深さ(高さと言うべきか?)の所為で、
光源とそれを持っている何者かの姿を確認することはできない。
でも確かにそこからは灯りが漏れていて、それは少しずつ少しずつ、
川の中を進んでいっているようだった。
ぞくり背筋に寒いものが走る。
だが、同時にそれの正体を確かめたくもなった。
もしかしたら夜回りの人が、水が漏れていたりして危ない場所はないか調べているかもしれない。
いやいや、きっとそうであれば良いのに、と自分を納得させたかっただけなのかもしれない。
とその時、
不意に後ろからかけられた声に、俺はぎゃあと叫びだしそうになった。
それでも声が出なかったのは逆にそれだけ恐ろしかったからなのだろう。
心臓をばくばくさせながら振り返ると、そこには爺ちゃんの姿。
「じ、じいちゃ……なんか、あの、その、あれ……音……灯り?」
しどろもどろになりながら、何とか状況を説明しようとするも、
爺ちゃんは「ほれ、こっちこい」と俺の手を取る。
ほとんどパニックになりかけていた俺は導かれるままにじいちゃんと、
囲炉裏のある部屋へと向かった。
爺ちゃんは俺を囲炉裏の傍に座らせると、その向かいに腰を下ろす。
その頃になると囲炉裏は既に現役ではなくなっていて、
火棚や何やらは取り払われ灰を溜めておくスペースだけが残されていた。
そしてそこは、爺ちゃんの家での唯一の煙草飲み場であり、いつものように囲炉裏端に置いておいた
『わかば』を引っつかむとライターで火を灯し、ぷかりと煙をくゆらせる。
無論、その間も例の「かあん かあん」と言う音は台風の音にかき消されること無く響き続けていた。
「爺ちゃんの子供の頃からなあ……」
少しの間を置いて爺ちゃんが言う。
「何年かに一度、こういう雨風の強い夜になると、ああやって川を登ってきたもんでなあ」
「登る?」
「そうや、聞こえとるやろ?」
ことも無げに言う。
俺の問いかけに爺ちゃんは、はてと首を捻り、
「さてなあ、ただあの川はこの辺りを抜けたらそのまま海に繋がっとるからなあ……
海から来とるんと違うかなあ」
何が? と聞くと、
爺ちゃんはやっぱり「さてなあ」と繰り返す。
「こ、怖くないの?」
俺が聞くと爺ちゃんは
「まあ、他になにするわけでもないからなあ」とのんきなもの。
「……正体とか、しらんの?」
思い切って問いかけると、爺ちゃんはいやいやと首を振る。
「ありゃ、川を登っていくだけや。それ以外はなんもせん。
ならそれで良いんとちがうかなあ……ほれ もうあんなに遠くなっとる」
言われてふと気づくと、
あの「かあん かあん」と言う音は、ずいぶんと遠くなっていた。
「ここ、三十年くらいはめっきり来なくなっとったけど……そうかそうか、今年は来なすったのか」
そう言う爺ちゃんの顔は、何だか懐かしいようなそんな表情をしていた。
結局俺は何がなんだか分からないまま、爺ちゃんと一緒に囲炉裏端で一晩を過ごした。
あの音はいつの間にか聞こえなくなっていた。
先日婆ちゃんの田舎に行った折、7歳になる甥っ子が例の川べりで遊んでいる姿を眺めていたら
なんとなくこの話を思い出し、その時隣に居た爺ちゃんに
「そう言えばあれから、アレはまた川を登ってきたりしたんか?」
と聞くと爺ちゃんは、
「いいや……もしかしたらもう登って来なさらんのかもしれんなあ」
と寂しそうに答えてくれたので、少なくとも夢では無かったんだなと思う。
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