【シリーズ物】マセラティおじさん 1/5
【シリーズ物】マセラティおじさん 2/5
【シリーズ物】マセラティおじさん 3/5
【シリーズ物】マセラティおじさん 4/5
【シリーズ物】マセラティおじさん 5/5
もう、季節はすっかり冬になっていて、吐く息も白い。乾燥した冷たい風に吹いている。そのせいだろうか、喉が痛い。そんな寒い夜の道を、月明かりが照らしていた。
「おい。」いきなり背後から声が聞こえたので、内心ヒヤッとしたが、聞きなれた声だったので安心した。おっさんが立っていた。
どうやら家まで送ってくれるそうだ。一緒に歩きながら話していると、喉から痰が出てきたので、道端にペッと吐いた。
「唾を吐くな。」
ハッとしながらも、自分のやった行為を反省し、素直にすいませんとあやまる僕。
「天に唾を吐くようなもんだぞ。血ほどすごくはないが、唾だってかなりの力を秘めている。下手にそこらじゅうに吐いてると自分の顔に戻ってくるぞ。」
そう言うと、おっさんは吸っていたタバコを指でピンとはねた。
「ねぇ、おじさん?」
「ん?」
「じゃあ…逆に聞くけど、タバコなら道に捨ててもいいの?」
「あ、いけね。」と言いながら、おっさんは捨てたばっかりのタバコを拾った。
おっさんは、それからもごく稀ではあるが、僕に会いに来てくれた。
正体は相変わらず謎のままだったが、それでも分かることは多々あった。
まず、おっさんには決まって数分に一回のペースで、時間を見る癖がある。そして時間になると、いつもそそくさと走り去ってしまうのだ。
おっさんは、僕の生い立ちをはじめ、あらゆることを不気味なくらい知り尽くしていた。というより知り過ぎていた。
たいていのことなら何でも答えてくれる。例えば、明後日の競馬のレースはこの馬が一着になるとか。
後日、見事に的中して、なんで中学生が馬券買えないんだと心底悔やんでたのを覚えている。
もっとも今は今で、もっといろんなことを聞いておけばよかったと後悔しているけれど。
ほとんど脅迫に近い感じで口止めされていたので、あの当時はこのことを、こんな形で人に話すとは思っても夢にも思って見なかった。
だから、どうせ聞いても人に言えないんじゃ知る意味がないって思って、あまり質問しなかった。質問するにしても、おっさんのことばかり。それが心残りだ。
「してるよ。式神だからね。」
愛情に飢えていた僕は、おっさんにベッタリだった。友達と言うより父親みたいな存在。
おっさんも、そんな僕に照れてこそいるが、まんざらでもないようだ。
「ホントはね、何にもないときに、こうやって君に会っちゃいけないんだよ。上の決まりでさ。」上ってのは、式神を指揮する司令塔らしい。正義の秘密結社でもあるのか?
詳しく聞こうとするも「君を巻き込みたくない」との理由で、教えてくれなかった。
おっさんには、いつも時間がなかった。時間になると逃げるようにいなくなってしまう。
最初こそ追いかけてたが、路地を曲がったところで必ず消えてしまうので、もう追いかけることはしなかった。
おっさんは、秒単位で動いているビジネスマンのように、しょっちゅう時間を気にしていた。なんかいろいろとあるみたい。
そんなある冬の出来事のこと。
その日は、部活は雨が降って中止で、進学塾の授業もない。冷え切った寂しい家に一人でいることが嫌な僕は、友達の家に遊びに行く。
友達は「親がいないお前がうらやましい」と言っていたが、僕だって「親がいるお前がうらやましい」と思っていた。
帰る時間になったので、いそいそと友達と別れを告げ、自分の家に戻る。あたりは真っ暗。見えない恐怖におびえながら、いつの間にか僕は、早歩きになっていた。
マセラティが向こうに見えた。
ものすごいスピードでやって来る。このあたりでマセラティに乗っているのは、僕の知るところ一人しかいない。
やっぱりそうだ。乗っていたのは、おっさんだった。
あれ?マセラティは、止まることなく過ぎ去ってしまった。
気付いてなかったのかな?疑問に感じるも、どうしようもない。
遅れて数秒後、大勢の人の泣き叫ぶような悲鳴やうめき声が聞こえ出した。
びっくりして、ふと前方に目をやると、なにか得体の知れない真っ黒いものが見える。
マセラティの後を追うように、こっちに迫って来る。
じっと凝らして、それを見てみるとゾッとした。それは、たくさんの人影だった。
人影が、道をびっちりと埋め尽くしている。映画『ゴースト ニューヨークの幻』に出てくる地獄の使者そのものだった。
とてもじゃないが、数え切れない。
ミミズがうねうねと動いたような、そんなまがまがしいオーラをまとわりつけた人影は、逃げられずに固まっている僕を飲み込み、何の危害を加えることもなく行ってしまった。
なんか知らないが助かった…。腰が抜けてしまい、足に力が入らない。
滝汗をかいていた。
文面じゃうまく伝わらないと思うが、あれは僕の呪いなんかより、もっとやばいものだと直感した。次元そのものが違う圧倒的な存在感を感じる。
ただ目撃しただけなのに、尋常じゃない恐ろしさだった…。
それから数週間。
次におっさんを見たのは体育のサッカーをやるために、外に出たとき。
ふと何気なく空を見たら、はるか向こうの空におっさんが立っていた。浮いている。
みんなに教えたかったけど、いかなることがあっても言ってはいけないと口止めされてたので(まあ、今こうして言っちゃってるわけだが)
一人で眺めていた。おっさんは、ここでも僕に気付いてない様子だ。
すると、そのおっさんにどす黒い雷雲が向かってくるのが見える。
例の人影たちだ。おっさんを襲おうとしている。
バチン!
おっさんの手が光ると、おなじみの爆竹音がこだました。
ズドン!
野球のボールをミットでキャッチするようなそんな音が、立て続けにすると同時に、雷雲が光りながら散った。おっさんの攻撃が当たったのだろう。
とにかく、何がなんだか…よく分からない。出来の悪い特撮映画でも見ているのだろうか?
雷雲は、崩れてこそいたが、勢いを衰えることなく、そのままおっさんに襲いかかる。
ここで、ボールが僕のところに来たので、あわてて視線を足元に戻した。
やはり僕にしか見えていないのか?
あれほどの音がしたにもかかわらず、誰一人として気付いていない様子だ。
ボールを蹴り返し、視線を空に戻すと、時すでに遅し。
おっさんも雷雲もいなかった。
ようやくおっさんが僕に会いに来てくれたのは、それから数日後のこと。
振り返ると、おっさんが立っていた。
ただいつもと違う。
おっさんは、かなり疲れ切ってる様子だ。スーツもよれよれ。
どうにも会話が弾まない。おっさんも無理して作り笑いをしているのが分かる。
帰ってしまう前にあの人影について聞かなければ…。
「やばいな、長居しすぎた。早く行かないと。」
そう言い残し、まさに帰るそのとき。意を決して僕は、おっさんに聞いてみた。
「おじさんを追いかける人影って何なの?」
おっさんは、驚愕の表情の浮かべ振り返った。動揺を隠せない様子だ。
「見てたのか?」こっくりと頷く。見た内容を詳しく説明しようとしたが「それ以上言うな」と一喝されて、黙るほか無かった。
おっさんは大きく、ゆっくりとため息をついた。
そして、そのまま押し黙ってしまうので、二人の間には無言の沈黙が流れる。
「あれって悪霊なの?」
「違う。そもそも君は、霊感がないから見えないだろ?あれはね、もっとやばいもんだ。」
じゃあいったい何なんだ?聞いても、それ以上は教えてくれなかった。
「もう君とは会わないようにしよう。」いきなりおっさんが切り出す。
言わなきゃよかった。そう思った。興味本位で聞いてしまったことを、すごい後悔した。
「大丈夫。何かあったときは、ちゃんと助けに行くよ。」
そう言うとおっさんは、靴音を響かせながら歩き出した。引き止めたかったが、ショックで喉が締め付けられたのか、声が出なかった。
ふいにあたりの気配が変わり始める。おっさんが、まさに向かおうとする先にある家の垣根が、風も無いのにざわざわと音を立て始めた。キーンと耳鳴りがする。
「まずいな…。囲まれた。」
そう呟きながら、あたりを見渡すおっさん。何も見えないけど、よからぬ何かの気配を肌で感じる。
「すまない、少し驚かすと思うが気にしないでくれ。」
どういう意味か説明する間もなく、おっさんは呪文を唱えると、その場からふっと消えてしまった。驚くよりむしろ僕は、突然いなくなる謎が解けたことで、興奮していた。
あたりの家々の塀の隙間から、真っ黒いスライムのようなものがはみ出て、真夏のアスファルトの蒸気のごとく、ゆらゆらと景色を歪めていた。
それは、何かするわけでもなく、ただそこに在るだけ。とはいえ、気持ち悪いので足早にそこをあとにする。
幽霊が見えない僕が、なぜか見える、人ならざるもの。
もしかして?僕の脳裏にあることがよぎった。
おっさんも呪われた一族の末裔なのか?
そう考えると何もかも辻褄が合う。
なぜ僕のことや先祖のことを知っているのか?なぜ僕を助けるのか?
今までバラバラになったジグソーパズルが、ピシピシとはまっていく感覚。
鼻の頭をつまみながら、眉にしわを寄せ、物思いにふける。
いくら勉強しても分からないことってあるんだな…。そう思いつつ僕は、学校に足を向けた。
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