小学生の頃、家に叔父さんが居候してた。
叔父さんは工場の仕事をクビになり、家賃も払えなくなってアパートを追い出され、
やることもなく、毎日俺んちでゴロゴロしていた。
収入もなく、毎日安酒を飲んで寝てるだけの叔父さんだったけど、
甥っ子の俺のことは可愛がってくれ、時々アイス買ってくれたり
釣りやクワガタ採りに連れてってくれたりして俺はこの叔父さんのことを
好きだった。
叔父さんが居候しだして半年が過ぎた頃、ある土曜日の雨の深夜、親父と伯父さんが
階下で言い争いをしてる声が聞こえた。
かなり激しい怒鳴りあいだったので、聞いてたラジオを消し息を殺して聞いていると
バタンとドアが閉まる音がして叔父さんがドカドカと階段を上がってきた。
げっ、俺の部屋にくんの?とビビってると隣の仏間の障子がピシャっと閉まる
音がした。
俺はそっと布団に潜り込み暫くドキドキしてたがいつの間にか寝入ってしまった。
翌日の日曜、俺の両親は店へ行き、家には俺と叔父さんの2人きりになった。
俺は昨日のことは知らないふりで、日曜の昼のテレビを見ながら母ちゃんが
用意してくれてた唐揚げで昼飯を食っていた。
叔父さんが、仏間から出てくる音がして、階段を下りる音が続いた。
俺はちょっと緊張しながら「おじさん、おはよ?」と言うと叔父さんも
「おう、なんや、美味そうやな」と一緒にご飯を食べだした。
「ツトム(仮名)、飯食ったら釣り行くか?」と誘われたので
俺も子供心に叔父さんを慰めてやろうと「うん」と同意した。
釣竿を2本持ち、仕掛けの詰まった箱をバケツに入れて、俺と叔父さんはいつも
釣りに行く近所の滝つぼへ向かった。
滝つぼは前日の雨で水位が増し、コーヒー牛乳色の濁流が厚い渦を巻いていた。
「あんまり連れそうやないね」と俺が言うと叔父さんも
「どうやろか、ちょっとやってみようか」と応えた。
「こう言う時の方が帰って釣れるもんやけん。ウナギとか釣れるとぞ」
と言い、叔父さんは滝壺の方まで進んだ。
俺はこんな奥やら行かんでいいのにな?と思いながらも、言葉すくなにに早足で
進む叔父さんの後をついて行った。
「ここでいいか」叔父さんは滝壺手前の高い大岩の前で止まった。
「ツトム、この上から釣ろうか。ちょっと上ってみ」と俺を持ち上げた。
俺が脇を抱えられ岩の上に這い上がると、「どうや?水の具合は。釣れそうか?」
と叔父さんが聞いてきた。
俺は濁流が渦巻く水面を覗き込み、「魚やらいっちょん見えんよ」と魚影を探した。
暫く水面を見てた俺は、叔父さんの返事の無いことに気付き
「伯父さん?」と振り返った。
岩ノ下にいたはずの叔父さんは、俺の直ぐ背後に立ち、俺を突き落とそうとするような
格好で両手を自分の胸の前に上げていた。
振り向きざまに叔父さんの姿を見た俺は固まった。
叔父さんは無表情で力の無い目をしていた。
せみの鳴き声をバックに時が止まった。
俺は何も言えずに叔父さんの目をただ見つめ返すことしか出来なかった。
汗が頬を伝い、身動きの出来ない体の中でただ心臓の鼓動だけが高鳴った。
伯父さんも手を下ろそうとせずにただ無気力な目で俺を見つめていた。
どれくらい見詰め合っただろう。
不意に叔父さんの背後の藪ががさがさとなった。
両者ともはっと我に返り、藪に目をやった。
見るとこちらに気付く様子もなく近所の農家のおっさんらしき人が横切って行った。
俺はおじさんのよこを通り過ぎて「今日は釣れそうにないけん俺先帰っとくね」
とだけ言って歩き出した。
滝から少し離れると、俺は弾かれたように全速ダッシュで逃げた。
振り返るとあの目をした叔父さんがすぐ後にいるような気がして俺は前のめりに
なって全力で走った。
大分走ったころ、自分がボロボロ泣いていることに気付いた。
俺は家に帰らず、両親のいる店へと向かった。
当時定食屋をやってた両親の店で、俺は両親が店を終わるまで過ごした。
伯父はその日帰ってこなかった。
翌日の夜に親父が警察へ届け、数日後に水死体で見付かった。
俺は滝壺であったことを一切語らず、伯父は一人で釣り中の事故で片付いた
俺が持ち帰った仕掛け箱に叔父さんの字で書かれたメモがあった。
それには”ツトムを連れて行く”とだけ書いてあった。