私が高校生だった頃の思い出話です。
私の通っていた高校は、全寮制の、歴史ある学校でした。
県下で一の伝統を誇り、建物は古く、先生方の頭も古く、指導の厳しいところでした。
生徒の自主性といった今流行りの考えとは縁遠く、何事にも増して伝統と
それに支えられた校風の維持を重視する環境だったのです。
そんな中で生徒たちは、先生方の言動に怯えながら、抑圧された日々を
過ごしていました。
おしゃれも禁止、外出も行き先を言って許可を求めなければいけません。
私たちが校内で楽しめる娯楽と言えば、ただ会話をするくらいでした。
私たちはただひたすら本を読み、先生方のチェックがやや緩かった雑誌などから
情報を得て、いかに互いにとって面白い話をするかに腐心していました。
そんな私たちの会話の中によく出る話題の一つに、「怪談」がありました。
抑えつけられ閉じられた学校生活の中で、怪談から得られる恐怖は何にも
変えがたい刺激でした。
放課後の夕闇に包まれる教室で、あるいは夕食後他に人のいない談話室で、
私と友人たちは、互いに持ち寄った怖い話をしたものでした。
私たちの学校はさすがに古いだけはあって、七不思議系の怪談が七つじゃ
きかないほどにありました。
他の学校にもあるような話が多くて、この手の怖い話は本当に何も話すことが
無くなった時に、場を繋ぐ話題として出されるくらいでした。
おしゃれ知識の話、そして怖い話としていき、いい加減日の暮れる頃には
話すことが無くなっていました。
もう帰ろうかという雰囲気になった時、友人の一人だった美紀が、
「そういえば……呪いのピアノの話、知ってる?」
と皆に問いかけてきました。
これには皆がうなずきました。呪いのピアノは私たちの学校の七不思議の一つで、
あまりにも有名な怪談だったからです。
放課後、誰もいないはずの音楽室からピアノの音が聞こえると言う、いかにも
ありがちな怪談でした。
「何言ってるの、今更そんな話……」
皆あきれた顔をして答えると、美紀は首を横に振ります。
「違うの。今までのとは違うのよ。この前聞いたんだけどね、今度は音だけじゃなくて、
幽霊を見たって言うのよ」
「幽霊?」
美紀の話はこうでした。
先日放課後、音楽室の前を一人の生徒が通りすぎた時、ピアノの音が聞こえた。
ちょっと好奇心を出して覗いてみると、ピアノの前に私たちの学校の制服を着た子が
立っていた……。
「制服が血に濡れたみたいに赤黒くなってて、すごく怖かったって」
私たちは笑いました。
「それって、本当にうちの生徒がピアノ弾いてたんじゃないの?」
「ピアノの音がして、ピアノの前に人が立っていたなら普通じゃない」
「ちょっと美紀、信じすぎだよ」
私たちが口々に言うと、美紀は不満顔になりました。
「違うって! まだ続きがあるんだから!」
「続き?」
「うん、続き。その見た人はね、怖くなって走って逃げたんだけど……」
逃げて、落ち着いて考えてみたら、単に誰か生徒が練習をしていただけかも
しれないとその生徒も考えたという。
しかし何か違和感があった。
数日後、それは明らかになった。
私たちの学校は制服のデザインを十数年前にかえていました。
職員室前の校史年表や、ホームルームでのスライド授業でしか見たことは
ありませんでしたが、現行の私たちの制服に良く似たものでした。
「もし生徒が練習してたなら、旧制服なんておかしいでしょ?」
「それこそ見間違えだと思うけど……」
「まあ、そうかも知れないんだけどさあ……」
しばらく私たちはそんな話は嘘だ本当だ、怖い怖くないと言い合っていたのですが、
ぼそりと佐智子(友人の一人です)がつぶやきました。
「みんな結局気になってるんだし、なんなら今から行ってみる?」
そして日も沈む頃、私たちのうち何人かは、音楽室に行くことにしたのです。
そして私の四人でした。
いつもより遅くまで残っていたので、校舎に人影が全く無く、廊下に私たちの
足音が響くのが印象的でした。
音楽室の前で皆一旦足を止め、耳を澄ましましたが、ピアノの音は聞こえませんでした。
「開けるよ……」
美紀が扉を静かに開けました。
音楽室には誰もいませんでした。
真っ赤な西日の差し込む教室に、普段私たちが座る椅子と、大きな黒いピアノが一つ、
置かれているだけでした。
私たちはしばらく誰も何も喋らず、ぼおっと音楽室の中をみて回っていました。
「結局、何もないじゃない」
「うん……」
絵里のつぶやきに、美紀がうなずきます。
絵里はピアノの前に立ち、鍵盤の蓋をあけ、軽くピアノを弾き始めました。
佐智子と私は椅子に座ってそれを聞き、美紀は窓辺に立って外を見ていました。
と、美紀の方を見たとき、私はどきりとしました。
窓辺に立った美紀は、窓にうっすらと姿が映っていたのですが、その窓に
映った姿がまるで血を浴びたようだったのです。
制服は赤黒く濡れ、頭から血を流しているようでした。
西日のせいだとか、そんな風には言えないくらいに、濡れたように生々しい赤でした。
そして、美紀の髪はショートカットだったのに、窓に映った姿は髪の長さが
もっとずっとあるように見えました。
さらには、制服の肩のあたりが少し膨らんだ形になっていて……それは私たちの
着ているものとは違う、一つ前の制服でした。
「さ、佐智子……!」
隣に座っていた佐智子に、慌てて言おうとしました。しかし、不意に美紀が
私の方を振りかえり、言葉が詰まってしまいました。
そして、相変わらず絵里が流れるようにピアノを弾くその傍らに美紀は立ち、
次の瞬間鍵盤の蓋をものすごい勢いで下ろしたのです。
絵里の悲鳴が響き、ピアノがバァン!と大きくなる音、そして蓋と鍵盤とに
挟まれた指が折れるボキボキという音が、確かに聞こえました。
「美紀!?」
「ちょっと! 何やってるの!!」
私と佐智子は慌ててピアノの方に駆け出しました。
美紀を取り押さえようとしましたが、美紀は信じがたい力で、私たち二人の力を
ものともしませんでした。
二回、三回と蓋がおろされ、その度に絵里の悲鳴とピアノの音と骨の砕ける音が
響きました。
「絵里、鍵盤から手を離して!」
「離れない! 離れないのよ! どうなってるの!? もう、や、美紀! やめてえぇっ!」
四回目に蓋が下ろされた時、ぐちゃりと音がして、折れた骨が皮を突き破って
出るのがわかりました。
白い鍵盤の上に、見る間に絵里の赤い血が広がっていきました。
絵里はその瞬間小さく悲鳴をあげ、がくりと気を失ったようでした。膝をつき、
力なくうなだれているのに、何故か手がピアノの鍵盤から離れることはありませんでした。
もう美紀の悲鳴は聞こえず、音楽室には絵里の手がつぶれる音と、その勢いで
押されるピアノの重々しい音がしばらくの間響き、
ピアノの下に小さく血溜まりが出来る頃、美紀もまた糸が切れたように気を失い、
倒れました。
私たちは先生方にきつく怒られました。
ただ、美紀は本当に自分に何があったのかわかっていなくて、絵里は
一時入院したけれど美紀を責めることは無かったので、
結局「事故」と言うことになり、誰も処分されないですみました。
「良くわからないんだけど……
ただ、あのピアノは私のものだって、そんな気がして、それでそこから先は
何も覚えてなくて……」
そう美紀は言いました。
絵里は完治しても手に痺れが出たりという障害が残りました。
こんなことがあったので、私の友人たちは皆幽霊を信じるようになりました。
そしてこんなことがあったのに、その後もみんな集まって怖い話をして、
時に肝試しもしました。
そうせずには居られないほどに、退屈な日常だったのです。
ひとまずこれで、思い出話を終えたいと思います。