怖い話

【恐怖の記録】ミイラ船「良栄丸」に残された日記

25: 本当にあった怖い名無し 2014/08/16(土)04:03:45 ID:3DNwSWJ5n

良栄丸事件

 

20141014b

 

 

 

◆発見されたミイラ船
1927年10月31日、 カナダ西海岸バンクーバー島。
ワシントンのシアトル港への帰路についていたアメリカの貨物船
「マーガレット・ダラー」号は、行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。

ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、
激しい死臭、白骨体、足の無い死体。

船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司厨室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、
コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。

 

 

27: 本当にあった怖い名無し 2014/08/16(土)04:04:18 ID:3DNwSWJ5n

船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、
信じられない惨状が書かれていたのだった。

そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。
重量は19tで1本マスト
船主は和歌山県の藤井三四郎
船長は三鬼時蔵
機関長は細井伝次郎
乗組員は12名
神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
約1年間漂流していた

ここで疑問が浮かぶ。
発見された死体は9体、記録には12名とある。

 

28: 本当にあった怖い名無し 2014/08/16(土)04:04:58 ID:3DNwSWJ5n

◆不幸な漁船

1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、
千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、
翌12月6日に銚子港に寄港した。

しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。

そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、
紀州船によく似た船が現れたので、信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、
応答も無く通り過ぎてしまったという。

三鬼船長は漂流を決意、記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。
12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。

記録にはこう書かれている。
「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。反対にアメリカへ漂着することに決定。帆に風を七三にうけて北東に進む・・・・。しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」

 

30: 本当にあった怖い名無し 2014/08/16(土)04:06:26 ID:3DNwSWJ5n

◆恐怖の記録

ここからは説明は要らないだろう。
記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。

「12月27日。カツオ10本つる」

「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、
これを飲料水とした」

「2月17日。いよいよ食料少なし」

「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。
恐ろしい飢えと死神がじょじょにやってきた」

「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、
『ひとめ見たい・・・日本の土を一足ふみたい』とうめきながら死んでいった。
全員で水葬にする」

「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、
やせおとろえて死亡。水葬に処す」

「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。
かわって松本源之助が筆をとる。井沢の遺体を水葬にするのに、
やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、
ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」

「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、
『おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える・・・・。』
などと狂気を発して、左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。
いよいよ地獄の底も近い」

「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、
三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、
吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、
みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。
のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、
みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」

 

31: 本当にあった怖い名無し 2014/08/16(土)04:06:54 ID:3DNwSWJ5n

「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、
ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。全員、人食いアリのごとくむらがり、
羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。
血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。
これもみな、餓鬼畜生となせる業か」

「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」

「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し
死骸を切り刻む姿は地獄か。人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」

「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。
地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。
同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」

「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは
船長と日記記録係の私のみ。ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、
そのままたれ流すはしかたなし」

「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。
山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。友の死骸は肉がどろどろに腐り、溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。
白骨のぞきて、この世の終わりとするや・・・・」

 

 

 

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