2年前の夏、俺と友人Aと2人関西某所にある、古びたホテルの裏の海岸で釣りをしていた時の話。
夜釣りをするために、午後9時頃、そのホテルの裏のテトラポッドに着いた。
酒好きのAはいつものようにソフトアルミ製のクーラーバッグに缶ビールを詰めて持って来ていた。
釣りの準備がととのい糸を垂らすと、早速Aは缶ビールを開けて飲みはじめた。
いつもの事で、止めても聞く男ではないので放っておいた。
釣りを始めて2時間以上経ったが、あたりがなく、波の音だけが静かに聞こえていた。
海岸に弓なりに沿った道路の街灯が、遠くの砂浜を照らし出していた。
時間は午前0時を過ぎていた。
俺はぼんやり電気浮の赤い光を見ながら「今夜はだめだな」とAに言ったが返事がなかった。
辺りを見廻したがAがいない。
「どうせ立ち小便だろう」俺はそう思い、さほど気にもしなかった。
マナーの悪いAは、酔うと何処にでも小便をした。
以前他人の家のガレージに入り込み、小便をしているところをその家の人に見つかり、警官まで来て大目玉を食らう騒ぎになったが、それでも同じ事を繰り返す、しょうもない男だった。
暫くしてもAが戻らないので少し気になり、俺はAを呼んだ。
やはり返事がない。
まさか海に落ちたのではないか、俺は不安よりも苛立ちを感じ、Aの居た方へ向かおうとした、その時、背にしたホテルの脇の暗く細い道路の奥の方から人の声がした。
ホテルの窓には明かりが一つ灯っているだけで、辺りに人の気はいはないが、波のさざめく音に混じって、確かに誰かの声が聞こえた。
俺は「Aか」と叫ぼうとしたが、声がかすれて出なかった。
暗い道を用心深くゆっくり歩いて、奥の声の方へと向かった。
奥へ進むと、人の声と動物の呻き声のようなものがした。
>>930の続き
音のする方へ行き、僅かに届く遠い街灯の灯り中に、俺はそれを見た。
男が段ボール箱の中から小さな生き物の首を掴み上げ、ぶらぶらと激しく揺すると、その生き物を力まかせに海に投げ込んだ。
投げ込むと又箱に手を入れ生き物を掴み、ぶるぶると揺すり、海に放りこんだ。
その度に、小さな生き物の「ギャーッ」と言う断末魔の叫びが俺の耳を切り裂いた。
俺にはその生き物が人間の赤ん坊にも見えた。
非常に痩せた背の高い年配の男は、俺に気付かず何度も繰り返し、小さな生き物を海に投げた。
男はそのホテルの制服を着ていた。
俺はゆっくりと後ずさりし、その場から早く逃げたかった。
異常な光景を目の当たりにし、人か何か分からない生き物を助けようとする勇気は出なかった。
その時、俺はいきなり誰かに肩を掴まれた。
それはAだった。
「ここヤバいよ、早く逃げようっ」Aは荒い息でそう言うと、俺の腕を掴んで引っ張った。
俺達は走った。
釣り道具をその場に残したまま走って車に戻り、古びたホテルを後にした。
俺は車のルームミラーを見た。
男は両手をだらりと下げ、走り去る俺達を見ていた。
その両手はあの生き物の首を掴んでいた。
夜が明けて、俺達はその話を別の友人達に話した。
すると友人達は怪訝そうな顔をして、「あのホテルなら1年前に潰れたよ。経営者は家族共々行方不明らしいよ。」と言った。
その後俺達はその場所には二度と行かなかった。
そのホテルは廃墟になって、今でもそこにある。