俺は平日休みの仕事をやっているんだが、三十路半ば過ぎた頃から、それまで痩せ過ぎという感じだったのに少し贅肉がつき始めてきた。
まぁ、ある程度太っても健康には問題ないのだろうけど、これまでに着ていた服が少しきつくなってきて。
俺は平日休みの仕事をやっているんだが、三十路半ば過ぎた頃から、それまで痩せ過ぎという感じだったのに少し贅肉がつき始めてきた。
まぁ、ある程度太っても健康には問題ないのだろうけど、これまでに着ていた服が少しきつくなってきて。
着れなくなるのがもったいないと思い少しばかり運動することにした。
とはいえライザップとかインストラクター付きの本格的なジムに通うほどのものでもないし、金がもったいないので家から10分ほど自転車をこいで行った所に市営のジムがあったから、そこに週一ぐらいで通って適当に運動しようと思い通い始めた。
そこは多少年季が入っているが500円でプール、ウエイトトレーニング、ルームランナー、シャワー室が市民なら特に面倒な手続きも必要なく気軽に利用できる。
とりあえず休日の水曜は朝の9時に入って12時までは運動するのが生活リズムになってきた。
ジム通いをはじめて数ヶ月、常連という感じになってきた頃、俺はTさんと仲良くなった。
Tさん70代前半だがジム通いをしてるだけあって体も頭もしっかりしていた。
俺がジムに来る水曜にTさんも必ず来ており、毎週顔を合わせている内に休憩時間が重なった時などに世間話するようになり、仕事の相談や趣味の話などもする仲になった。
Tさんは大学の教授だったらしく、漢詩を研究していたそうで、地方新聞に自分の研究が載ったというのが自慢だった。
俺は漢詩なんて教科書に載ってた杜甫とか李白ぐらいしか知らないし、全く興味がなかったが、そんな俺にも良い詩があるからと時々説明してくれた。
また、Tさんは登山が趣味で、興味はあったが道具が高いし、一緒に行く相手も居なかった俺に道具とか色々用意してくれ初心者でも登れる山に色々と連れて行ってくれたりもした。
奥さんとも数年前に死別して、子供達もみんな独り立ちしてしまったTさんにとって、俺はちょうどいい構う相手というのもあったと思うが色々と親切にしてもらった。
Tさんによると俺は長男に似ているからほっておけないとのことだったが。
そんなこんなで俺とTさんは毎週水曜に顔を合わせて、月1ぐらいで山に行ったり飲みに行ったりする感じで交流していた。
去年の12月の一週目の水曜もいつものように俺は9時にジムが開くと同時ぐらいに到着した。
Tさんは市の外れの方に住んでいて車で来ているのだが、駐車場を見るとまだTさんが乗ってきている軽四が停まってない。
「今日は俺が勝ったか」などと思い、受付を済ますとジムの更衣室に向かった。
ドアを開けて更衣室に入ろうとするとすると中からTさんが、いつもジムで運動する時のスポーツブランドのTシャツとハーフパンツという格好出てきた。
「いつの間に来たんですか?」と聞く間もなく、Tさんは軽く会釈してトレーニングルーム向かって行った。
不思議に思いながら更衣室に入ると、いつもTさんが使っているコインロッカーの鍵が付いたままになっている。
財布とか貴重品は受付横の金庫に預けることもできるが、Tさんは財布とかをいつもロッカーに入れてた。
いくつかのロッカーは使用中になっていたから「いつもと違うところに入れただけ」と
自分を納得させたが、この時点で背筋が冷たくなり恐ろしい想像をしていた。
即行で着替えてトレーニングルームに向かうと悪い予想通りにTさんの姿はなかった。
部屋で控えている監視員兼ねてるトレーナーに聞いても「まだTさんは来てない。
ここへはMさん(俺)が一番乗りです」と言う。
念のために受付に行って確認してもTさんは来ていなかった。
これはTさんに何かがあったと思い、急いで更衣室に向かいスマホから連絡を入れるが携帯電話には出ない。
不味い事に俺はTさんの家の大体の場所は聞いているが、正確な住所は知らないし、息子さんとかの連絡先も知らない。
気にはなるのだが確認する術が思いつかなかった。
Tさんに持病があるとか、そういう話は聞いたことないし、用事があってたまたま電話に出れないだけで幽霊も俺の見間違い、何も起こってない、単なる気のせいだと自分を納得させた。
その日の夕方、もう一度電話したのだがTさんは出なかった。
間がいいのか悪いのか、年末で仕事が忙しく職場と家との往復以外は何も考えることができず、Tさんの幽霊騒動は俺の中でかなり小さくなっていた。
あっという間に1週間が過ぎ2週目の水曜になったが、体力的にかなりきつかったので、ジムに行って運動する気力が湧かなかった。
気になったのでTさんに「今度こそ出てくれ!」と思い連絡してみたが電話に出ることはなかった。
しかし、夕方18時過ぎTさんの携帯から連絡があった。
電話に出ると電話の声はTさんと違っていた。
「Mさんでいらっしゃいますか?
私は父がお世話になってました」と暗い声で言われた。
電話の主はTさんの長男さんだった。
俺は第一声で悪い予感が当たっていたことがわかった。
長男さんによると、Tさんは先週の火曜の夜に亡くなっていたらしい。
一人暮らしをしているTさんは、長男さんに電話を朝起きた時にかけて生存報告してたらし、く火曜の朝にはかけてきていたらしいが、水曜の朝には連絡がなかった。
ただ、たまに遅れて昼ぐらいにかけてくることもあるので、そこまで気にしてなかったが、夜になっても連絡してこず、こちらからかけても出ないということで心配で見に行くと風呂場で倒れてたそうだ。
死因は脳卒中だったが、一人暮らしでの病死だったので警察が来たり突然の死で色々と騒動になってしまい電話がかかってきていたのは、わかっていたが出る余裕がなく申し訳なかったと謝ってくれた。
そして、葬儀は完全に身内だけでおこなってしまったが、できればTさんに線香を上げに来て欲しいと。
俺と長男さんとの予定が合わず年末まで遅れたが、俺はTさんの家に行き線香をあげることができた。
仏前で手を合わせた後で、
「まだ、全然片付いてなくてすいません。」
と長男さんがTさんが使っていた書斎に案内してくれた。
必要な書類とかを探す為に色々ひっくり返したと言っていたが、たぶん前からずっと汚かったと容易に想像できるぐらいに本が所狭しと置かれ、メモや付箋が壁とか机に大量に貼られていた。
Tさんの生活がわかる部屋を何ともいえない気持ちで眺めていると、
「探し物をしている時に偶然見つけて、父がMさんに渡したかったはずですから。」
と長男さんが一冊の本を渡してくれた。
そこらに散らばってる学術書とは違う。
新書コーナーに置いてそうな漢詩の楽しみ方みたいな本だった。
長男さんが表紙の裏を見てください、と言うのでめくってみるとそこには筆ペンでTさんから俺への励ましの言葉が書かれていた。
日頃から仕事の愚痴を聞いてTさんなりに思うことがあったのだろう。
Tさんが考える仕事とは何かみたいなのが書いてあった。
「たぶん、渡そうと思ったけど、恥ずかしくて渡せなかったんでしょうね」
と長男さんが笑った。
その後、形見分けということで本以外に、Tさんが使ってた山道具をいくつか譲り受け少し長男さんと生前のTさんについて話した。
俺の話は結構よく出てきてたらしく、今時の若者にしては、しっかりしてよく頑張ってるとか恥ずかしいことを言われていた。
長男さんに幽霊の話をしようかどうかかなり迷ったが、結局は言い出せなかった。
長男さんには言えなかったのだが、不思議な体験は初めてで、どうしても誰かに聞いて欲しかったのでしっかり覚えてる内に文章にしてここに投下することにした。
怖くない上に長文で失礼。