先生が引率として行った、何年か前の修学旅行。
行き先は仰っていませんでしたが、今と変わっていなければ北海道でしょう。
元気盛りの高校生達。多少の問題は起こったものの、まぁ例年通り。
ホテルまで辿り着き、早めの夕食の時間でした。
ふと、近くの女の子グループのテーブルを見ると
お喋りばかりであまり箸をつけていません。
お年頃ですからね、男の子達の目が気になったのでしょう。
先生は、声こそかけなかったものの
『あらあらあの子達、夜中にお腹空かせて買い食いでもするんじゃないかしら』
と、これもまた例年通りの心配をしていたそうです。
そして夜中、深夜1時頃でしょうか。
先生方でこっそり飲み交わしたお酒もまわり
布団に潜ってウトウトしかけた時、突然、部屋のドアをドンドン叩く音と
「先生たすけて!」という女の子の泣き声。
同室の先生と顔を見合わせ慌ててドアを開きました。
そこにいたのは夕食時に目に付いたグループの女生徒がふたり。
「○○ちゃんが変なの!どうしよう!」
彼女たちの部屋はすぐ近くでした。
飛び込むように部屋に入ると、布団の上に仰向けに倒れている○○ちゃんと、
青い顔をしてその横に座り込んでいるもう一人。
何か事故でもあったの!?
こちらも蒼白になりながら○○ちゃんの肩をゆすると、
彼女はあっさりと目を覚ましました。
キョトンとして、なにかあったの?という風情。
ホッと胸を撫で下ろし、彼女たちに何があったのか尋ねました。
その話はこうです。
深夜0時をまわった頃。もちろん消灯の見廻りは声をひそめてやり過ごしました。
布団に形だけは入り、くすくす他愛もないお喋りをしていましたが
やがて誰ともなく「お腹空かない?」の声。
先生の予想通りでした。
しばらくは我慢していましたが、やっぱり無理!とのことで、
こっそり1階のエントランスに向かいました。
もちろん売店は閉まっている時間ですが、
何台かお菓子の自販機があったのでそれ狙いでした。
こそこそと、少し楽しくなりながら1階まで階段を降りると
エントランスの薄暗くなった照明の中に、浴衣姿の人影が見えました。
白地に紺色の模様、後ろ姿でしたが男性です。
なぜか、頭にはほっかむりをしていました。
誰とまでは判りませんでしたが「ヤバイ!先生だ!」と
慌てて階段を引き返そうとしました。
その気配でゆっくり振り向き始めるほっかむりの男。
両手をゆっくり、案山子のように広げました。
それ以上見ている場合でない!捕まったらお説教されるのは目に見えています。
我先にと階段を駆け上がる彼女たちの後ろから
広げた両手と体をやじろべえのように両側に揺らし
ゆっくり、ゆっくりとした歩みで追ってきます。
顔はよく見えません。声も上げません。
彼女たちの部屋は3階です。
こんなに全力で駆け上がっているのに、なぜか男はゆっくりとした歩きで
どんどん距離を詰めてくるのです。
とにかく無我夢中で走り、部屋になだれ込みました。
その瞬間、最後尾を走っていた○○ちゃんから「ひゃあ!」と悲鳴。
「背中撫でられた~!!」
勢いでドアまで閉めたものの、もう部屋もバレてしまっているので
いつ『コラァお前らぁ!』の怒声が響くかとビクビクしていたのですが
しばらく経っても部屋はシーンと静まりかえったままでした。
「…もしかして、見逃してもらえた?」
皆なんとなく違和感は感じていたものの、ひとまず安堵感でそれを拭い去りました。
「もう買いに行くのは無理だね~」
しかし走った動悸と興奮でしばらくは寝付けそうにありません。
四人でまたくすくすとお喋りを始めた時、
急に○○ちゃんが『XXXXXXXXXXX!!!!!』と叫びました。
何と言っていたかは判りません。男の怒声のような感じでした。
三人がビックリしていると、今度はよだれを垂らしてアハハハハハと笑い出し
そのまま仰向けに倒れびくんびくんと痙攣を始めました。
そこで慌てて先生の部屋に駆け込んできたというわけです。
起きてきた他の先生方にもみっちり叱ってもらった後、
その浴衣の男が気になり尋ねました。
が、四人とも覚えていたのは白地に紺の浴衣とほっかむり、という点だけでした。
修学旅行中、そのホテルは学校の貸し切りでした。
彼女たちが見た白地に紺の柄の浴衣は、たしかにこのホテルの物です。
しかし生徒達の部屋にも先生方の部屋にも、浴衣は置いてありませんでした。
薄暗く落とされた照明の下で
彼女たちは初めて来た遠方のホテルの、見る機会が無いはずの浴衣の柄だけを
何故かハッキリと覚えていました。
そういうお話です。
その後は特に何事も無かったそうですが、
修学旅行を間近に控えた私たちのクラスでこの話をした先生の
悪戯っぽい笑顔を今でもたまに思い出します。
長文失礼致しました。