運動会前の練習で怪我して競技参加できなくなったり、遠足前に熱がでて休んだり
それ以外でも参加はできても具合が悪いとか度々あったけど、運悪いなと凹んでいたくらいで気にはしてなかった
雨女的な感覚でしかなかったし、まわりもその程度の認識でネタによくされていじられていた
それでも一番落ち込んだのは、小学校の修学旅行のときだった
親と準備の買い物に出かけたとき、交通事故にあって足を骨折した
そのときのことは何故か自分であまり覚えていなくて、突然ふらっと飛び出て轢かれたらしいと聞いた
医者はギブスと松葉杖もできなくはないといっていたが、過保護な母親が怖いくらいの剣幕で大事をとれというので結局入院となってしまった
入院中は本当につらかった
ゲームしたり漫画読んだりしてたけど、友達は旅行いってると考えたらイライラして集中できなかった
親は気をつかっていろいろしてくれていたけど、結局不貞寝して過ごすことが多かった
そんな不貞寝中、俺は突然の金縛りにあった
そのときはたまたま両親は不在で、ただでさえ不安なのにすごく怖かった
特に胸の上が重い、何か乗っていると感じた
ビビリながらそれを確認しようとしたけど、なかなか目も開かない
俺は無理やり捻りひらくように目を開けた
するとそこには、2歳くらいの男の子が乗っかっていた
同室に小学生はいたけど、そんな小さい子供はいなかった
そいつの弟の可能性もあったはずなんだけど病院のベッドに登れない
なにより俺にはひとつ思い当たる節があったから、そのときは直感でそんなものじゃないと判った
俺にはAという年子の弟がいたらしい
「らしい」というのは、まだ自分が保育園にも行く前に既に死んでいたからほぼ記憶になかったし、普段は一人っ子の感覚で過ごしていた
その弟が死んだのがちょうど2歳だった
心の中で俺は聞いた
お前、Aか?
胸の上に乗ったそいつは何も答えずじっと睨んできていた
もう一度聞いた
お前、Aだろ?寂しかったんだよな?俺だけ楽しんでごめんごめんごめんごめんごめん
そいつは睨み付けたまま首を振っていた
寂しかったんじゃなかったら何か恨みを買ったのだろうか
怯えた頭で必死に考えたが何も思い浮かばない
そうこうしているうちに、俺はまた意識を失って寝てしまっていた
目が覚めて、それが単なる悪夢だったのかもと考えた
でも妙にリアルで妙に胸がざわついていていた
退院して、家に帰ると俺は写真をあさった
Aの写真を見れば、あの出来事が本当に悪夢だったかがわかるだろうと思ったからだ
うちではアルバムなんて立派な保管はしておらず、箱の中の雑多に古い写真が入っていた
でもその中に弟の写真は見つからなかった
自分の写真はいくつか出てくるのに、弟の写真がない
子供ながらに不自然だと思った
他のところに保管しているかもと思い、両親が仕事に出ている間に家中を探した
何回目かの探索の末、俺は一冊のミニアルバムを見つけた
写真屋で現像したときにもらえる簡易アルバムののあれだ
これはと思い、中を確認した
そこに写っていたのはやはり病院で見たあいつだった
しかし俺は、その事実以上に驚愕の写真を見つけてしまった
それは誕生日の写真だった
家族4人で2本のロウソクが刺さったケーキを囲んでいた
ケーキには「B(俺の名前)ちゃんたんじょうびおめでとう」の文字
しかし、写真右下に入れられたオレンジの日時は、まだ俺が1歳になる前の日付
そこに写っていたのは、両親、病院で見たあいつ、そして赤ちゃんの俺だった
よくよく考えたら弟が2歳だったら自分は3歳だし、小学生のころならまだ弟の記憶があってもよかったはず
その時点でいろいろ気づくべきだったのかもしれない
本当は俺が弟で、あいつが兄だったのだ
俺がAで、あいつがBだったのだ
母親の過保護が異常だということにも気づき始めていたが、その理由もわかった気がした
それからも俺はBという名前を使いながら、本当はAだということを認識するようになった
それ以降、イベントがあっても不幸が起こることはなくなった
きっと兄は、Bという名前を盗られていることに怒っていたのだと思う