現在広告代理店に勤める彼が(仮に田中氏としておこう)大学生だった頃、と
言うから5、6年前の事になる。当時、彼は大学から少し離れた都心部の1ルームマンションで
1人暮しをしていた。大半の一人暮らしの人間がそうであるように、彼もまた近所の
コンビニには毎日のように買い物に行っていた。
大学での授業を終え、色々と用事も済ませ、部屋に戻って人心地ついて、ふっとコンビニに出かける。特に
目的が無くてもなんとなく出かけていってしまう、一人暮らしの人間にとってコンビニ
とはそういう場所ではないだろうか?
少なくとも、田中氏にとっては、そうだった。
そんな訳で、彼がコンビニに出かける時間はだいたい決まっていた。
だいたい、夜の10時頃。最早、習慣のようになったコンビニ通いには細い
裏路地を使っていた、コンビニまでの最短距離であったし、彼の根城としている
マンションその物が表通りから少し奥まった所に建っていたので自然とその細く
暗い道を使っていた、彼は男性であったし、なにしろ大した距離ではない、
たまに、コンクリートブロックを持った若い男性が徘徊していたりもしたらしいが
彼は特に危険と遭遇する事もなかった。なにしろ、距離は短いし、通い慣れた
道であったから、そう、本当に、毎日、毎日、歩いている道であったから。
新学期が始まり、少し経った頃、恐らく5月の始めだったと彼は言う。
まだまだ夜は冷えていた、彼はいつものようにコンビニへと出かけ、雑誌を物色し
某かの買い物を済ませ、帰路へとついた。そう、毎日のように通った道筋である。
自分の住むマンションの、すぐ手前まで来て彼は普段そこに無いもの、を確認した。
そこには電柱があり、公衆電話が設置されていた、電話器だけをボックスに
つめた簡単な作りのタイプである。電柱の街灯に照らされた公衆電話は、無論
普段から存在する、問題なのは、そこに人が立っていた事である。
もちろん人が使う為に設置された公衆電話である、そこに人がいても不思議は、ない。
だが不自然なのは、その人物が壁に向かって、すなわち道路には背を向けて立って
いた、微動だにせずに、電話をかけている様子も、ない。
今までなにも無かったとは言え、前述した通り全く治安に不安のない場所、と言う
訳でもない、彼は無意識に緊張する自分を感じていた。もしかしたら、足音を
忍ばせていたかも、知れない。しかし、その人影は終止微動だにしなかった。
真っ赤なトレンチコートのような物を着たそれは彼が通り過ぎるまで本当に
ピクリとも動かなかった、ただ背を向け、ジッと壁に向かって立っていた。
多少、不気味ではあったものの、実害はなかったし、習慣のようになったコンビニ
への夜の買い出しは止める事は出来なかった、多少気にはなっていたのでマンション
を出る時に、ちらっと確認すると、公衆電話は無人だった。もともと暗い裏筋で
ある、夜半ともなると人通りは殆どなかったからそれを確認するのは容易だった。
少し安堵してコンビニへと向かい、弁当だかなんだかを買い込んで帰路についた。
いた!それは昨日と同じ位置で全く同じ姿勢で公衆電話の脇に立っていた、すこし
俯き加減で、壁に頭を預けるような姿勢で。次の日も、次の日も「それ」は公衆
電話と壁の隙間に隠れるように立っていた、ずっと、指先一つ動かす事もなく。
そして、彼がコンビニへ出かけようとマンションを出る時には、いない、しかし、
コンビニ袋を下げて彼が通りかかると「それ」はそこに立っていた。
毎日、毎日、俯き加減で通りに背を向け、異様に長い真っ赤なトレンチコートを
着て。
1週間ほど経った頃であろうか、田中氏は、それでも夜中のコンビニ通いを
続けていた。無気味ではあったが、何をする、と言う訳では、ない。
ただ、暗く、細いその裏路地に設置され街灯に弱々しく照らし出された公衆電話
の脇で通りに背を向けて立っているだけ、である。
勿論、それは普通の行動では、ない、決して普通では。
だが、実害がないのであれば関わり合にならなければそれで良い、ただ、黙って
後ろを通る分には何も問題は無かった、実際、何も、無かったのだから。
だが、気には、なる。当然である、気にならないと言えば、その神経の方が異常で
ある。「それ」がそこで何をしているのか?そもそも、「それ」が何なのか
確認も出来ない状況は真綿で首を絞められるような、圧迫感を田中氏に与えていた。
実害は無い、と考えていたが、このままでは精神衛生上、不都合が生じる、せめて
「あれ」が何故そこに立っているのか、それを知る事ができれば、何か納得できる
答えさえ見つかれば、田中氏の首の真綿は排除できる。