知り合いの話。
知り合いの話。
彼は昔、狐に憑かれたことがあるという。
「と言っても、自分は何も憶えちゃいないけどね。
突然、意味不明なことを叫びながら、天井まで跳び上がったりしたとか。
まだ元気だった祖父ちゃんが、俺を柱に縛り付けて大量の線香で燻したんだと。
『狐め、孫から出てけぇ!』って感じで、荒縄で打たれたりもしたらしい。
うちの母ちゃんが言うには、
『煙もくもくだし、大声でお経を叫んでるし、すんごい光景だった』ってんだけど、
観察する暇があったら止めてくれってんだよな。
そのうち元に戻ったらしいんだが、燻されたお陰なのかどうかはわからないよ。
……まぁそれも含めて、一切合切記憶にないんだけど」
そんな彼が先日帰省して、甥を連れて裏山で遊んでいた時のこと。
キャーキャーと大声ではしゃいでいた甥が、急に黙り込む。
一体どうしたと目を向けると、甥の向こう側、山に続く細道に何かがいた。
それは真っ黒で、全身が脈動しているかのように波打っていた。
フーッという呼吸らしき音が聞こえたことから、何かの生き物かと思われる。
動物に詳しい彼が、まだ見たこともない類いであったが。
大きかった。彼曰く、セントバーナードの成犬をおもいだしたそうだ。
甥はその何かと、真正面から対面して固まっていた。
「甥ちゃんが危ない!」
咄嗟に荷物を探ると、折りたたみの傘があった。
必死で引っ張り出して傘を開き、甥の前に奇声を上げながら飛び出した。
(続き)
「アチョー!」だの「ウヒョー!」といった化鳥音を大声で叫び、
力の限り傘を回しまくる。
しばらく無我夢中で傘を振り回していたが、気がつくと気配が消えていた。
恐る恐る傘から顔を出し確認したところ、細道の上には何も見えなかった。
大きく息を吐くと腰が抜けたようになり、ペタンと座り込んでしまった。
甥は吃驚して目を見開いていたが、安心した途端
「○○兄ちゃん、すごい!」と大興奮で抱き付いてきたそうだ。
「いやそれだけなら『良かった良かった』で済んだんだけどさ。
俺が奇声を上げて暴れまわってたのが、母屋から丸見えだったみたいで。
困ったことにあのでかい生き物、誰にも見えてなかったみたい。
だから他の家族には、俺が突然奇行をはじめたようにしか見えなかったんだと」
信心深い祖母の手により、彼は再び線香で燻されたのだという。
「○○に憑いた狐が戻ってきたって、祖母ちゃん必死で線香持って追いかけて
くるんだもん、涙目で。
諦めて、大人しく燻されたよ」
「勘弁してほしいよなぁ」と苦笑して、彼はこの話を締めくくった。