つい先日の話。深夜コンビニから帰宅している最中に、女の叫び声が聴こえた。
聴こえるときいたことがある。数キロ離れた場所の音だったのだろうと考え
再び歩き出した。すると
「ぎゃああああああ・・・ああ・・・ああああ!」
また女の声が聴こえた。間違いない。すぐ近くだ。俺は辺りを見回して
声の出所を探った。寂れた商店街はどこも錆びたシャッターが下りていて
閑散としている。店と店の間にある横道のどこかに、声の主がいるだろうと
思った俺は、早歩きで来た道を戻り、横道を一本一本確認してまわった。
メガネをかけてはいるが、極端に視力の悪い俺がみたところで
薄暗い路地に倒れている人など発見できるのだろうか。
不安になりはじめたとき、ドンッと足に何かがぶつかった。
足元をみると、そこには赤いコートを着た女が背中を丸くして座っていた。
黒くて長い髪が顔を隠している。
「ご、ごめんなさい!」
俺はとっさにぶつかったことを謝った。すると女は、背後の壁によりかかりながら
ゆっくりと立ち上がった。動きがどこかぎこちなく不自然だった。
「大丈夫ですか?さっき悲鳴をあげてました・・よね?」
女は質問にこたえず、顔を下げたまま、ゆっくり右腕を前にだし、俺を指差した。
「うしろ」
さっきの悲鳴とは違って、静かで冷たい声だった。
その瞬間、遠くで聴こえていた車や電車の騒音が消え、ひどい耳鳴りがした。
俺はゆっくり振り返った。
するとそこには・・ただ深い闇があった。
もう一度女のほうを見ようとした瞬間、恐ろしいほどの寒気が全身を駆け抜けた。
真冬の水風呂に頭から飛び込んだような寒さだった。
女はいなくなっていた。恐怖でパニックになった俺は、全力疾走で家に帰った。
こんなに必死に走ったのは高校以来だ。全然使っていなかった足の筋肉が
すぐに悲鳴をあげていたが、お構いなしだった。
とにかくその場から離れないとまずい。頭の中で鳴り響く自分の声に従った。
家につくとすぐにつけられる照明をすべてつけた。
トイレも廊下もキッチンもだ。暗い場所をどこにも作りたくなかった。
もちろん鍵もかけ、カーテンも閉めた。
ガクガクする足を両手でおさえながら座り込んだ。
汗を腕でふきながら、激しく呼吸を繰り返す。
あれはなんだったんだ?幽霊だったのか?幽霊だったとして女はどこにいったんだ?
うしろってなんだ?
女に関する様々な疑問が浮かんでは消え浮かんでは消え、気付くと朝になっていた。
一睡もせず、朝食もとらず、ブルブル震えているとスマホが鳴った。
恐る恐る画面をのぞくと、知り合いのKからだった。
Kとは随分古くからの付き合いで、よく飲んだりしている。
「おい、知ってるか?大変なことになってるぞ!」
Kは冷静じゃない俺よりもあせった口調で話した。
「オマエがこの前ネットで知り合って付き合ってた女いたろ?アイツが自殺したらしいぜ!」
Kのその話をきいた途端、忘れかけていた記憶がよみがえった。
大学卒業して、就職がうまくいかなかった俺は、親の金で一人暮らししながら
毎日退屈に過ごしていた。これまでうまくいってた人生が、もろくも崩れ始めている。
あせりつつも、気力がわかない。ダメ人間じゃねえか。
自分を攻め続ける毎日。このままストレスをため続ければ本当におかしくなっちまう。
そう思った俺は、ネットを使って出会いを求めた。一晩だけの軽い関係でいい。
ダメになってしまった自分を肯定して愛してくれるそんな相手がほしかった。
ブサイクやワケアリ女ばかりだった。まじめに付き合うつもりはなかったから
それでよかった。むしろ、終わってるレベルの女がよかった。
自分よりもダメなやつを見ると、まだ俺はマシなんだって思えるからだ。
クソみたいなことを始めて三ヶ月が経った頃、Jという女と出会った。
Jは俺がよく利用する出会いサイトでかかった久しぶりのビッグフィッシュだった。
はじめ駅で待ち合わせたとき、Jは赤いワンピースにブーツを履いていた。
身長が高くて、ロングの黒髪がよく似合っていた。
少しやせ気味で色白だが、笑顔を絶やさないせいか元気そうだった。
口数は少ないが、話しを振れば楽しそうに自分のことを教えてくれる。
冗談交じりに頼み込めば、なんでも言う事を聞いてくれる。
なによりこれまで知り合った女の中で一番かわいい。
Jとは長い間関係をもった。会えばかならずセックスして欲望を満たした。
友達に紹介して自慢した。天使みたいな女だった。
付き合って一ヶ月すぎるまでは。
Jは次第に本性を見せ始めた。Jは親と仲が悪かった。親とケンカするたびに
ふさぎこんで泣き続け、俺の家にひきこもった。気分がよくないときは
家事は一切やらないし、話しかけても無視される。ちょっとしたことでよく切れて
オレに対する愚痴をオレに聴こえるところで言い続ける。
イラだって家から追い出すと、手首を切って撮影し、スマホで送りつけてきた。
メンヘラってやつの厄介さを痛感した。どんなにかわいくても耐えられない。
ある日いつものように、オレとJは口論になった。堪忍袋の緒が切れていたから、
追い出した後にJからリストカット写真が送られても無視した。
するとJはオレの部屋のドアをたたき、泣き叫んだ。それでも無視してやった。
それから数日、Jからリストカット写真が送られ続けた。
Jの手首には赤い切れ目がどんどん増えていった。
はじめは右手、きるところがなくなったら今度は左手。グロすぎて吐き気がした。
このままリストカットし続けたらJは死ぬんじゃないのか。そんな心配などしなかった。
オレにこれ以上迷惑がかからないことだけが気がかりだった。
Jも他のやり捨てしてきた女たちと一緒だったんだ。もういらない。次の女にいこう。
一週間ほど経った頃、Jからのリストカット写真がやんだ。
オレの記憶からはすでにJの存在が消えかかっていたから、気にもしていなかった。
オレはKからの電話で、Jとの記憶と、Jの容貌を思い出した。
さっき路地に座っていた女と、Jが似ている。黒髪で赤い服を好んで着ていた。
だけどKが言っていることが本当なら、Jが路地にいたのはおかしい。
オレはKからJの死について詳しくきいた。
Jはオレにリストカット写真を送らなくなってからも、オレのことを引きずっていたようで
自室にこもっていた。食事もまともにとってなかったようで、心配になった母親が
何度も呼びかけたが返事をしなかった。そこで強引にドアの鍵を壊して
父親が部屋にはいると、やせ細ったJがベッドの上で冷たくなっていた。
手首からは大量に出血しており、それが原因で死亡したらしい。
死んだのは三日前。じゃあやっぱり、さっきの女はJじゃない別の・・
ドンドンドン
突然背後にある部屋のドアが叩かれた。オレは振り返りドアを凝視した。
ピクリとも動けなかった。次になにが起こるのか、不安で気が狂いそうだった。
「あ・・さ・・・じぇ・・・わ・・・ブツ」
Kとの通話が突然切れた。
ドンドンドン
前と同じだった。Jを無理やり家から追い出したとき、Jは三回ずつドアを叩いていた。
前は何度叩かれようとも無視できたノック。でも今はノックのことで頭がいっぱいだった。
突然、スマホが光った。
何度も見た同じ写真。Jの手首が切られて、血を流している写真。
すぐにまたメールがきた。Jからだった。
さっきと同じような写真だが、傷がひとつ増えている。
メールが次々に送られてくる。メールボックスがJの手首でいっぱいになっていく。
必死に考えた。Jをどうにか追い返す方法を。相手が人間なら無視していればいい。
だけどJはきっと人間じゃなくなっている。前にもまして話しは通じないだろう。
でもやるだけやろうと思って、腹のそこから叫んだ。
「J悪かった!俺が悪かったよ!ゆるしてくれ!本当に悪かったと思ってるんだ!」
必死に泣きながら謝った。Jは部屋の外にいるだろうから意味はないが
土下座して謝った。
ドンドンドン
それでも、ノックは続いた。メールも送られてくる。
もうどうしたらいいかわからない。なぜかJとの楽しかった時期の思い出がよみがえる。
昔はあんなに楽しかったし、好きだったのに、どうしてこんなことに・・
昔・・・もしかして・・
俺は再びスマホをみて、Jからのメールを表示させた。
昔、Jとケンカしたとき、いつもこうやって仲直りしていたんだ。
俺はJへ昔のように返信した。
俺のほうが悪かったよ。ごめんな。鍵開けてるから帰って来いよ。あれ用意しとくから。
いつもの文だった。
それから台所にいって、レトルトカレーを温めた。Jは金持ちのお嬢様なのに
レトルトカレーとモナ王が大好きだった。だから仲直りするときはいつも
部屋の鍵をあけて、カレーとモナ王を用意してまっていた。
レトルトカレーの用意が終わると、冷蔵庫からモナ王を取り出してテーブルに置き
ドアの鍵を開けた。そしてJが入ってくるのを待った。
目を開けると、夕方になっていた。どうやら眠ってしまったらしい。
あくびをしながら頭をかいている途中、ハッとなった。Jは、Jはどうなったんだろう?
あたりを見回す。何も変わらない自分の部屋だった。
ため息をついて視線をテーブルに向けると、レトルトカレーが盛ってあった皿は
綺麗に空になっていた。ゴミ箱にはモナ王の包装が入っていた。
数日経ちこの書き込みをしている今、俺は平和に過ごしている。
相変わらず仕事も見つからず親のすねをかじってはいるが、自暴自棄になって
出会い系サイトを利用するようなことはなくなった。
本当はしたいんだけど、女とスマホでしゃべったり、遊んだりすると必ず届くんだよ。
Jからのメールがね。
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