同じ夜勤の人間でその日は深夜1時に上がる予定だった先輩が
「今日は明け方まで残ってもいいかな?」と私に訊いてきた
ウチの店は深夜1時までは二人制、1時から翌朝6時までは一人での勤務になる
「べつに構いませんけどどうかしたんですか?」
その日は特別な仕事も無く残業をする理由などないはずだ
「仕事じゃないよタイムカードももう切ったしね、ただ事務所に居させてくれればいいんだ」
レジ内の扉の先にある狭い事務所
横に長いスペースに事務用のパソコン机、更衣室、在庫品用の保管棚が並んでいる
二人がなんとか通り抜けられるような部屋、そんな場所にあと3,4時間も居たいというのだ
「先輩の家すぐ近くでしたよね?歩いて5分くらいの、鍵でも失くしました?」
私が尋ねると先輩は苦笑いを浮かべてこう言った
「ちょっと確かめたいことがあるんだ、笑わないでくれよ」
先輩の話によると
一人で夜勤をしている際、事務所に居ると誰もいないはずの店内から「すみません」と
声をかけられることがあるという
来客を知らせるチャイムが風や振動などで誤作動を起こしたり、逆に人が入ってきても
鳴らないということはたまにあることなので
「はーい、お待たせ致しましたー」とレジ内の扉から店に出ると
店には誰もいない
また別の日、事務所で作業中「すみません」と声をかけられ
今度は扉近くの事務机で作業をしていたため、すぐさま店に出るがやはり誰も居ない
さらに別の日またしても聞こえてきた「すみません」の声に素早く防犯カメラのモニターを見るも
店内はもちろん店のすぐ表を映しているカメラにも誰も映っていない
こんなことが週に1,2度はあるのだという
「キミはそんな経験ない?」
先輩は最後にそう尋ねてきた
自分も週に2回ほど夜勤をしているがそんな事があった覚えはない
私が首を横に振ると先輩は「そうか…」と再び苦笑いを浮かべて「とにかくよろしく頼むよ」と
事務所に入っていった
その日は来客もほとんど無く、先輩の協力もあって作業も早々に片付き私たちは事務室で
お喋りをしていた
珍客話が盛り上がり私がのんきにも先輩が残っている理由を忘れかけていたそのとき
「すいません」
自分のすぐ後ろ、店内へと続く扉の向こうから声が聞こえた
先輩の話を思い出した私が先輩を見ると
モニターを見ていた先輩は私の視線に気づき首を振る
やはり誰も映ってはいない
内心焦りながらも私が「レジ近くにもカメラの死角ありますし一応確認してきますね」と
店内に出るために扉に手を伸ばすと
「待て!!」
先輩が突然声を張り上げた
驚いて硬直した私に先輩は「これ…」とモニターの一部を指差す
先輩の指差す場所
モニターに映ったレジ内部
防犯カメラの死角ギリギリに映る事務所への扉の下半分
そこに黒く長い髪と女の足が映っていた
それも立っているのではない
カメラに映った部分からその女の状態を考えると壁にしがみついているのだ
壁に張り付いているような女の足
そして膝から上を覆い隠している長い髪
モニターにはそこしか映っていない
私は振り返れなかった
自分のすぐ後ろの扉のちょうど私の胸元から頭頂部くらいまでの位置にある
一辺50センチメートルほどの正方形の窓
マジックミラーになっていて向こう側からは覗けないはずのこちらを女が見ているような
気がしたからだ
「消えた…」
先輩の一言に我を取り戻すとすでにモニターの中には誰も映ってなかった、今度こそ本当に誰も
その後、私は先輩に頼み込み私の勤務終了まで残ってもらうことになった
その後例の声を聴くこともモニターにあの女が映ることもなかった
そして翌月、先輩が店を辞めた
気になってオーナーに話を聴くと
私とともにアレを見た次の日の晩、オーナーから防犯カメラの録画した映像を見る方法を訊くと
翌朝には辞めさせてほしいと言い出してきたのだという
「なんなんだろうねぇ、悪い事をしてたわけじゃないとは思うんだけど」
不思議がるオーナーから録画した映像の見方を聞き出すと私は一人になってすぐにその映像を観た
「ああ…」
私は合点がいった
それは先輩が残っていった日より前
先輩が一人で夜勤をしていた晩
誰も居ない店内からの声に応えて店に出る先輩が映った映像にやはりソレも映っていた
カメラの死角ギリギリの事務所への扉、その壁にしがみついているかのような女の足と髪
そして扉が開き先輩が出てくる
その女を通過して…
きっと先輩もこれを観たのだろう
モニターを元の状態に戻し、私は次のバイト先を探すことを決めた
結局その後、大学を卒業するまでの2年間その店で夜勤を続けることになったのだが
その間オーナーや後輩たちにそれとなく聞いてみたが変なモノを見聞きした人間は誰もいなかった
アレはいったい何だったのか
元々先輩に憑いていたものだったのか
あるいは先輩に付いていったのか
見えないだけ聞こえないだけで今でもあそこにいるのか
もう私にはなにもわからないのだった
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