知られざる深山、身近な里山、神社仏閣の「お山」、あるいは昔山や丘だった場所…
山にまつわる怪談・奇談を語っていきましょう。
※ここは実話のみのスレではなく昔話、伝聞何でもありです。
※嵐はスルーでよろしく>ALL
前スレ
∧∧山にまつわる怖い・不思議な話Part64∧∧
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山怖まとめサイト2(Part19~)
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深夜の峠道を車で走っていると、行く手のバス停に誰か立っていた。
赤い服を着た女だった。一人きりで、荷物の類いは持っていない。
同色の大きなツバ広帽子を被っているので、顔は見えなかった。
こんな夜更けに奇妙だなと思ったが、それ以上は気に掛けず、横を通り過ぎた。
幾つかのカーブを下った後、次のバス停が見えてきた。
何気なく目を遣って、ギョッとする。
赤い服の女が、やはり一人で立っていたのだ。
見たところ、先程目にした人物と寸分違わないように思える。
どうにも気味が悪くて、出来るだけ目を向けないようにし、バス停を通過した。
それから峠を下りきる道中、全部で四ヶ所のバス停があったらしいが、
その何れにも赤い服の女が立っていた。
平野に出るとバス路線を外れて走り、ファミレスに入って時間を潰した。
あのまま真っ直ぐ家に帰ると、憑いてこられる気がしたからだそうだ。
明け方になり空が白み始めてから、ようやっと帰宅する気になれたという。
山小屋に泊まった夜のこと。
夜中にトイレで起きた際、食堂の中から何かを引きずり回すような音がした。
こんな深夜に誰が騒いでいるのかと覗いてみると、消灯されていて真っ暗だった。
明かりを点けて確認してみたが、どこにも人の姿は見えない。
訝しく思いながら寝床に戻ると、再び食堂の方から物音が聞こえてきた。
もうわざわざ確認には行かなかったという。
翌朝目が覚めて食堂に向かうと、置いてあった椅子だけが、てんでバラバラな位置へ
移動していたそうだ。
「それだけの話なんだけどね」笑いながら、彼はこの話をしてくれた。
昔、仕事で東南アジアの山に籠もっていた時のことらしい。
不思議な足音に後をつけられたのだという。
背後からしつこく付いてくるのだが、音はすれども人の姿などどこにも見えない。
気持ち悪いと思いながらもどうすることも出来ず、放っておくことにした。
街に下りてから、現地の友人にこの話をしてみた。
「人食いにつけられたね」と、そう言われたのだという。
聞いてみると、かつてその山に棲んでいた部族は、人を食べる習慣を持っていたらしい。
人間を食べると、その強さが食べた者に移るという信仰を持っていたらしく、
そのため主に健康的な男性が餌食にされていたそうだ。
「日本から来た兵隊も、結構食べられたって話を聞いたよ。
でも終にはアメリカ兵まで食っちまったんで、報復で村落ごと焼き滅ぼされたんだと。
だから今現在、奴らはもう足音しか出せないっていう話さ。
実体が無いのだから、そう危なくもないだろう」
「その後も二回ほど足音につけられたけど、確かに別に害はなかったな。
気持ち悪いことに代わりはなかったけどね」
彼はそう言って苦笑した。
乙です
よく、人食いの風習は民俗学的に強者の力を取り込むためと解釈されますね
昔うちの親父が山岳救助の仕事をしていて、
転落で亡くなった登山客を麓まで運ばなくちゃいけなくて、
当時の死体を運ぶ方法が、死体の背骨を折って折りたたんで運んだんだって
そんで、うちの親父がその仕事を任されたんだけど、
死体の背骨をボキッと折った瞬間に死体が
おうぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
って叫んだんだってそれが今でもトラウマになってるとか。
空気が漏れたんだね。実際に聞くと気持ち悪いだろうね。
折れても、たためるものなの?
足を折っていれたそうだ
本当かはわからんが、その時は怖すぎて一週間くらいトイレ行けなくなった
山田が首を落とすのは武士階級の罪人で、介錯の際に咎人の身体を抑える非人が二名。
彼らには金銭を与えないが、朝右衛門が首を落とすと、彼らは首の斬り口から器用に手を体内に
差し込み、胆嚢だけを素早く確実に取り出したという。
その胆嚢は早速袋に入れられ、彼らの生活の糧に換わる。
胆嚢を陰干しにして薬種問屋に売るのだ。
こうして売られるものが「あさえむ丸」であり、山田朝右衛門の名前から着けられた薬である。
中には子供の胆嚢が一番効能があると知って子供を攫う「子取り」もおり、薬種問屋の示唆に乗って
子供を攫い、殺しては胆嚢を取る悪党も居たとの事である。
子供の頃、実家の裏山で遊んでいると、ぽっかりと開けた空き地に出た。
立ち並んでいる木々が、なぜかそこだけは一本も生えていない。
何気なく足を踏み入れた瞬間、後ろ髪をギュッと引っ張られるような感覚を覚えた。
慌てて後頭部に手をやってみたが、どこにもおかしいところはない。
しかし気持ち悪くなったので、その場からさっさと逃げ出したという。
山を下りて帰宅すると、ひどい騒ぎになっていた。
彼は一週間近くも行方不明になっていたというのだ。
日付を教えてもらうと、確かに彼の覚えている日をとうに過ぎていた。
家族たちに大層怒られてしまったのだという。
その後、何度かあの空き地に行こうとしたが、終ぞ見つけることはできなかった。
ある日、小さな山道を走っていると、古びた石鳥居を見付けた。近くの路肩に車を止め、鳥居の隣にある社号標を読むと、『稲荷神社』と書いてある。
早速、石段を上がって行くと、趣のある社殿が建っていた。
境内を散策みると、ある物を見付けた。
御神木に五寸釘で打ち付けた蛙だった。五寸釘には、死ねと書かれた短冊が括り付けられている。
怖くなった私は急いで車に乗り込み、逃げる様にその場から去った。
打ち付けられた蛙が、足をバタバタさせていたのが印象的だった。
釘を打った本人にカエル感じが…
平安時代からある呪詛の方法だよ。
がま蛙を使うと効果が高いとされている呪いたい相手にきちんと呪いが行く。
(呪詛返しは、被害者(この場合カエル)に加害者(釘を打って苦しめたもの)は別にいると納得させて居場所を教えれば完了。
後は被害者(カエル)が、苦しめられた恨み+騙された怒りと恨みを、加害者にはらしに行く。
呪いの報復は倍返し、三倍返し、といわれるのはその為)
〇〇ヶ峰につづく山を背にして本殿が建っているのですが、脇に山に入る道があります。
踏み固められた道なので人の手が入っていたのは間違いないです。
気にはなるけど、その道を奥まで制覇した者は居ませんでした。
夏休みのある日、鬼ごっこ的な遊びをしていました。
男の子が2人、その山道に隠れたらしいのです。
隠れると言っても境内から丸見えなので、かなり奥まで行ったのでしょう。
他の子がみんな見つかっても2人だけは見つからないので、全員で捜しました。
山道は境内から見える所までは行きましたが、それ以上はなんと言うか、鬼ごっこ時のルールというか、
範囲外と言うか、想像の外でした。皆がこの道を使うと鬼ごっこにならないからです。
だから、その先に隠れているとは考えず、夕食どきには解散しました。
きっと先に帰ってしまったと思ったのです。
その晩、8時ごろに電話がかかってきて、2人の行方不明事件になりました。
神社で遊んだ皆の証言で捜索され、無事発見されたそうです。
ここから彼らの話も織り交ぜます。
2人は別々に見つかったそうです。
1人はあの山道の奥、杉の木の枝にしがみついていました。
もう1人はどうやって入ったのか、神社の本殿の中で。
この日から夏休みが終わるまで2人とも見かけませんでした。
神社も立ち入り禁止になって、しめ縄のような紐が低い位置に張られていました。
これでもかと言うくらい奥まで行ったらしく、降りても降りても神社が見えないうちに暗くなってしまいました。
そのうち何かついて来る気配がして、振り返ると“森の塊”が居たそうです。
その塊がワサワサと付いて来たので2人は必死に逃げました。
1人は火事場のなんとやらで途中の杉の木にへばりつき、自力で降りられなくなるまで登りました。
1人は神社の本殿に。(窓の格子をへし折って入ったそうです。こちらも火事場バカ力です。)
ものすごく叱られたそうです。
森の塊というのがなんなのか、2人の拙い表現から映画のプレデターを想像していました。
いま思い出して考えると、“モリゾー”の方が近い気がします。
年が明けて、ようやく神社が遊び場として解放されたとき、
「どんな風に遊んでも良いけれど、山の中で拾った物を持って帰ってはダメ」と言われました。
2人のどちらかが、山道の奥で拾ったイヤリングかネックレスだったかを持っていたそうです。
事件の後、お祓いのようなものを受けて、神社に置いて来たそうです。(奉納?返還?)
後々になって、地図で確認してみると、あの道の先には奥の社のようなものがありました。
その後は特に何もありませんが、今でも「山で拾ったものを持って帰るな」と言い伝えられています。
おわり
>森の塊
黒澤明の蜘蛛の巣城(原作マクベス)に出て来る不気味な森と霧を勝手に想像したわ
単独で入山中に、不思議な光景に出会した。
行く手の繁みの中で男性が二人、藪漕ぎしながら歩いているのだが、
ある程度進むとくるりと踵を返してから、元来た藪中を戻っていく。
そのまま50メートルほど戻ると、そこでまた180度回転し、
再びこちらへ向かって進んでくる。
その二人組は、そんなことを何度も繰り返していたのだ。
顰め面が見て取れるほどに近よってみたが、向こう側は彼のことが
目に入らないようで、気が付きもしない様子。
「あのー、何をしているんですか?」
流石に気になってそう声を掛けると、吃驚した顔で立ち止まった。
二人して安堵の息を吐きながら、こんなことを口に出す。
「あぁ良かった、人に逢えた。
僕ら、実は昨日からずっと道に迷ってて・・・。
ここがどこかわかりますか?」
「いや、あなた方、ずっとそこでグルグル行ったり来たりを繰り返して
いたんですけど?」
そう指摘された二人は、彼にからかわれたものと思ったらしく、
「何を言ってるんですかぁ」と苦笑しながらこちらに向かってきた。
いきなり、前を歩いていた方が立ち止まった。
ギョッとした顔で足下を見つめている。
「ここ・・・昨晩僕らがテントを張った場所だ。
このペグの痕、見覚えがある。
・・・嘘だろ、ここから半日以上は歩いている筈だぞ」
そう呟くと顔を上げ、あれ?っという表情になる。
「何だ、ここ、○○峠に下りる途中道じゃないか!!」
「・・・本当だ。今まで嫌と言うほど通っているのに。
どうして気が付かなかったんだろう?」
どうやら後ろの男性も、現在地の特定が出来たらしい。
二人して顔を見合わせて、頻りに首を傾げている。
丁度、下りる先が同じだったので、彼も二人に同行することにした。
問題なく下山出来て、礼を言ってくる二人に別れを告げたのだという。
「あの二人組、揃って狐にでも騙されたのかね?」
そんなことを考えたそうだ。
しかしその三年後、彼もその藪で道に迷い、別の登山者に助けられた。
道を失ったのは、正にあの藪の中であったという。
「・・・あそこの藪って、何かヤバいモノでも潜んでいるのかな・・・」
以来、彼はそこの道を利用しないようにしているそうだ。
近所の山にも廃墟化した、お堂?みたいな建物がある。かすかに、『不動教会』と読み取れる。
『教会』って事は、神道でも仏教でも無いのかな?
あと、鎖に繋がれた猫の干からびた死体が、お供えするかのように置かれていたのには、何か意味があるのかな?
2年前の事だし、流石に死体はもう無いだろうけどね。
「教会」は、キリスト教の宗教施設だけを指す言葉じゃないよ。
昔は仏教教会や神道教会もあった。 今は使われていないだけ
明治の法律では、宗教団体を「○○教会」宗教施設を「教会所」と呼ぶように規定されていた(今は廃止)
今でも教会って名称は、神道仏教関係なく残っている
出雲大社は「出雲大社教会」高野山は「高野山大師教会」
成田山新勝寺も「成田山○○教会」ってのが各地にある(熱海教会、木更津教会とか)
じゃあ、「不動教会」はお不動さんを信仰する人達の集まりだったのかな?
少子過疎化の影響で祀る人がいなくなってしまったのかもしれんね。
ただ猫の死体はちょっと薄気味悪い。
時々、人気がないのを良いことにして、山奥で悪さする連中もおるからなあ。
たぶん不動さんを祭っていた、どこかの寺か神社の末寺か末社か、明治以降に勧進した施設だったんだと思う
○○教会、○○教会所ってのは、末寺や末社、明治以降に開かれた施設に付けられたから。
(明治六年の法律で、宗教団体の施設を「教会所」というと定められた。法律が廃止されるまでの間に開かれた施設は教会所。
法律が廃止されて○○教会所から改称した施設もあるけど、残している施設もある)
ぐぐったら出てきた。
http://ontake-shibuya.org/info.shtml
創建が大宝2年(702年)ってすごいね。
山岳信仰の修験者さん達の集まりだから、滝行や奥駈けなどをやって修行してるのかな?
やっと戻ってくると高熱が出て意識を半場失ってしまった。
息子が家までつれて帰り、病院に行ったがどこも変ではないという。
神降ろしに見てもらったら、過去に人を千人殺した魔神の曝し木で、罰を受けて枯死するまで
木にされていたものだという。
息子がその木を見つけて火をかけたら、親父はそのまま病院で死んでしまった。
燃えた古木の中から、大きな白蛇の死骸が出てきたという。
たいていの神は何をやろうと住まいがなくなっただけでどこかに行くだけなのかもしれない
だから神棚放置していても祟りはないが加護もない
547にもあるけど稲荷は土着の神と併合した場合もあるらしい
土着の神は他に行くところがないから、祟りというシグナルで再度お祀りするよう要請する
赤ん坊が泣くように、システムとしてシグナルが機能するから、末代まで絶えてしまって”誰も跡を継げなくなっても”
シグナルは発し続けられて、いつしか祟り神とか、忌み地として認定されてしまうのかもしれないと今ふと思った
だからって再度お祀りするには、霊とか見える人のアドバイスがいるだろうな
荒廃した神社には何がいるかわからないっていうし
あとそもそも荒廃している以上、何を奉っていたのかもわからないわけだし
祟りというシグナルが祀るよう要請するシステムとして機能する
面白い考察だね
たまにこういうのあるからオカ板回るのやめられないんだよなw
何もないところに何かを祀るとき
極めて慎重にするのもそういうのがあるからかもね
いつもの様に拝殿の前でお参りを済ませ後ろを振り返ると、目の前に人の顔があった。人差し指一本分の距離くらいで人の顔があったのだ。
あ、あ……っと、声にもならない声をあげつつ、俺は後ずさりした。
後ずさりして離れた位置からそいつを見ると、そいつの黒髪はスラッと長く、女物の服でスカートを履いた女だった。
女はさっきからずっと俺を見つめていた。
そして、俺に指を向けたかと思うと、口をパクパクさせながら、社殿背後の山の森の中へ裸足で去って行ってしまった。
女が履いていた赤い靴が、その場に残っていた。
その日以来、俺はあの神社には一度も行っていない。
今から三年前の体験。
福岡のA山へ。
登山と言っても、舗装された道路を自転車で登るだけのもので、長い坂道を自転車から降りずに走り抜くという根性見せゲーム。学生時分のことだから、何が楽しいのか分かんないけど数回通った。
これは良い思い出。
七号目辺りまで登りきると開けて平らになっていて一般的にはここが頂上とされる。駐車スペースと、売店と、綺麗な夜景が見える場所。
今回はその先の獣道を進んで見ようという試み。
ここに向かう頃にはもう夕方に差し掛かっていて、道中真っ暗闇を歩く事になった。
ともかく視界の頼りは月の光だけだったような。
木々に遮られて空の明かりが届かなかった。
目が頼りにならないから、枝を投げ、先に道があるかどうか確かめながら進んだ。
もちろん怖かったが、興奮と楽しいのが勝った
ただし登山客用の道ではないから不自然にこうばいが荒く、真っ直ぐではなかった。
踏み外せば転落しかねない箇所も多々。
たぶん死にはしないだろうけど。
その場には気の合う仲間が三、四人居たと思うが、疲れもあって無言の時間が長くなった。
それでも二時間も経ってなかったかな?ゆっくり進んだ事もあって、距離的には大した事ないと思う。
街の明かりが見え、
鋼色の小くした東京タワーのような物と遭遇した。
電波塔と言うのかな?
ちょうどこの後の道が急になっていて、ほとんどよじ登るような形になる。
登った先の暗闇が一層濃くて、ここに来て始めて、言わば霊的な恐れを感じた。
暗闇が深く感じたのは、一旦街の明かりが目に入ったものだから、視覚的な効果によるものも大きいと思う。文字通り何も見えなかった。
友人達に告げると実は俺も、俺もだと、全員で引き返す事に。
よじ登った道をズルズルと滑り降りて、そそくさと退散し始める。
後ろで仲間の一人が、おい早く来いと声をあげた。
振り返るとAがまだ上にいて、頭を向こうにむけたまま、四つん這いになって体を大きく上下に揺らしてる。
駆け寄ってみると、ふーと息を漏らしてる。
それがなんだか嫌だなと感じた。Aが近寄って来たのが嫌だった。
ともかく囲んで何してんだ、大丈夫か、と腕を掴んで立たせて、皆で服に付いた土を払ってやった。
帰ろうぜと手を引くと、Aは返事はしなかったが、歩き始めた。
先頭を進むAの歩みは遅い。
ゆっくりではあったにせよ、足元の確認をせずに進むAの様子を心配するとか、疑問を抱くとかいう心持ちではなく、
Aは明らかにおかしくて、そのことを騒ぎ立てようものなら、自分達がとてつもなく恐ろしい事態に陥っている事を認めてしまうような、まとわりつくような恐怖があった。
Aはヨタヨタ遅い分、急なこうばいに躓かないようだった。途中穴とも取れる深い溝などに足を取られながらも先頭を船頭を担う彼が帰路に向かっている事に希望があった。
俺達はギョッとして立ち止まったが、茂みの揺れる音がやんだ位置から察するに、そう遠くに離れていないことが分かっていた。心臓ドクドク言ってた。
少しして、Aが何かを喋り出した事が分かった時に、反射的に逃げ出した。
それは早口で何を言っているか分からなかったし、分かりたくもなかった。
夢中で進んで、舗装された山道に着いた。街の明かりが嬉しかった。
Aが居なくなった事を早く大人に知らせなくてはならなかった。
一番近くにある友人宅に全員で詰め寄って、その日からAの捜索が始まったが、結局は見つからなかった。
おばあちゃんが言うには、山の神様がお前達を守ってくれたとの事で、なんだか胸がジーンとした。
言われてみればあの 暗く険しい山中を、駆け下りるような離れ業、出来るわけが無かった。
ただやっぱり今でも山は怖い。
長いばっかでつまんなかったかな。
マジ怖いわ
見つかってないと聞いたよ。
物語なら事前に、粗相が悪かったとか、霊感がどうとか、用意しとく所だろうがね。事故みたいなもんだったと思うよ。