それは私が小学生の頃、夏休みになると田舎の海で毎年海水浴を楽しんでいた頃の話です。
田舎とは母の実家であり、海のすぐ側にありました。
家の裏口から外へ出ると、そこはもう海水浴場の砂浜が広がっていたのです。
海が大好きだった私にとっては、実家は天国のように楽しいところでした。
ですから帰省中は、台風のような悪天候でもない限りは、雨が降っても海で一日中遊んでいたものでした。
私は幼い頃から泳ぎや素潜りが得意であり、また、自信も持っていました。
実際、いつも大人や年長の従兄弟たちと共に沖のほうまで泳ぎ回ったり、岩場で潜って水中の景色を楽しんでいたりしていました。
正に、怖いもの知らずでした。
しかし、両親も祖父母も、「夏休みの海では子供が溺れる水の事故が多いので気を付けるように」と、いつも口を酸っぱくして私に言い聞かせていました。
そんな或る日、私はいつものように朝から海に出掛け、いつものように素潜りを楽しんでいました。
しかしその日は、珍しく海水が濁っていて透明度が悪い状態でした。
普段なら海底まで楽に見渡せる馴染みの岩場も、その日は水が濁っていて底がよく見えませんでした。
そんな時、地元の一人の最年長の男の子が、「今日の海は機嫌が悪い。海の機嫌が悪い時は海に足を引かれるので帰ろう」と言い出しました。
それは昔からの言い伝えだそうですが、まだ幼かった私には、そのお兄さんの言葉の意味が分かりませんでした。
私も渋々帰ることにしました。
その前に最後のひと潜りとばかりに、もう一度素潜りをしてから帰ることにしました。
水が濁っていて見通しが悪く、いつもとは全然違う不気味な景色でした。
見上げると濁り水の先の海面に、浜へ戻る仲間たちの泳ぐ姿がかすかに見えました。
私も急いで帰ろうと思ったその時、何かに足が挟まって動けなくなってしまいました。
それは岩なのか何なのかは分かりませんでしたが、足が挟まるような岩などなかったはずでした。
その瞬間、私は悟りました。
「ああ、海に足を引かれるとはこういうことなのか」
しかし私は幸運でした。
そう悟った瞬間、既に先の最年長の男の子が私を迎えに潜ってきてくれていて、後ろから私を抱きかかえ、私を助け上げてくれたのでした。
彼は余所者(よそもの)で最年少の私から、最後まで目を話さずに見守ってくれていたのでした。
もしも彼がいなかったら、私は生きて帰れなかったかもしれません。
それ以来、私は何処へ出掛けても、昔からの言い伝えなどは必ず守る子供になりました。