日中、存分に海水浴を楽しんだ後で俺たちは宿に戻り、
たそがれ時の薄暗い室内で一息ついていた。
「なあ、飯食ったら花火するんだろ?」
「買いにいかなきゃ。コンビニ遠いぞ」
「ドリンクも切れたし行くしかないだろ」
「それより裏山で肝試ししねぇ?」
なんて話をしていると、部屋のふすまがガラっと開いた。
そこに立っていたのは、俺たちにはお馴染の「おっちゃん」だった。
俺たちは高校時代、何をするでもなく放課後の図書室でダベっていた。
放課後の図書室は一種のサロン状態だった。
その輪の中に用務員のおじさんもいた。
奥さんが車で迎えに来るのが夕方なので、それまでの間
図書室で学生たちと雑談して暇を潰していたのだった。
陽気でぶっちゃけた人柄で、皆から「おっちゃん」と親しまれていた。
そのおっちゃんが部屋の入り口に立っていた。
そのおっちゃんが部屋の入り口に立っていた。
憮然とした表情で室内を見下ろしている。
おっちゃんに目が釘付けになる俺たち。
おっちゃんは何故、俺たちがここにいるのを知っていたんだ?
偶然この宿に泊まっていたのか?
…いや、おっちゃんは、俺たちが高校三年の時、交通事故で他界している。
図書室の有志で奥さんに追悼の手紙も出した。間違いのない事実だ。
なんだ、何なんだこれ。
凍りついた雰囲気を破るようにおっちゃんが口を開いた。
「お前らここにいたんか?」
「は、はい…いました…」
友人の一人が間抜けな返事をする。
皆、固まっていた。ここにおっちゃんがいる事の異常性に皆気付いているようだった。
おっちゃんはしばし、気難しそうな顔で考え込み
「大変な事だぞ...」
とつぶやいて廊下の向こうに去っていった。
「おい?見たよな?」
「似た人…じゃないよな…?」
こわばった顔を見合わせる俺たち。
団子になって恐る恐る廊下を覗いてみる。
薄暗い廊下には誰もいなかった。
「おっちゃん? おっちゃーん?」
恐る恐る呼びかけながら廊下を検分すると
突き当たりの共用トイレのドアから、何かモヤのような白いものが漏れている。
「アレ何だ?」
「俺が開けてみる」
友人の一人が、トイレ照明のスイッチをつけ、意を決してドアを開く。
ぶわっ、と白いガスが渦巻いて俺たちは軽いパニックになった。
「うわっ…」ドアを開けた友人が絶句する背後からトイレを覗き込むと
真夏の盛りだというのに、トイレの水は凍りついていた。
水ばかりではなく、便器もタンクも白い霜に覆われ、
タンクの上に飾られた草花がドライフラワーのように固まっていた。
その冷気が廊下の澱んだ熱気でモヤになったのだった。
俺たちは民宿側にトイレの凍結を伝えた。おっちゃんの件は伏せて。
民宿のおじさんは最初、俺たちの悪戯を疑っていた。
「スポーツの後のアイススプレーとか撒いたんじゃないの?」
「それっぽちでこんな凍りませんよ!」
「むぅ…」
おじさんは俺たちの怯えようと、トイレの完璧な氷結ぶりを見て疑いを捨てたようだった。
「冬場でも凍らないのに…」と首をかしげながらも
タンクと配管の検分を行い
「中の水がカッチカチだ。今夜は使わないでね」と一言。
溶け出した霜を受けるタオルをトイレの床に敷いて戻っていった。
用務員のおっちゃんは俺たちに何か伝えたかったのか。
大変な事とは何だったのか。
トイレを凍らせたのはおっちゃんなのか。
その時いた友人たちと、会うたびに話題になるが何一つ結論は出ない。
あまりに不可解な夏の日の思い出。