俺には過去一度だけ入院経験がある。
その件で腑に落ちない点が発覚したので聞いてほしい。
入院したのはもう13年も前。
高校3年生の夏のことだ。
いつものように早起きの親父に声をかけられ、寝室(和室)で目覚めた俺は、立ち上がるなり目の前が真っ暗になって床に倒れこんだ。
体感的には立った状態から床に倒れた状態に飛んだ感じ。倒れた衝撃やなんかは記憶に残っていない。
俺は高熱を出していた。
すぐさま親父の軽トラで、昔馴染みの田舎病院に運ばれた。
診断の結果、4日間の入院と聞いて驚いた。
何よりも皆勤賞がなくなってしまう…とショックを受けたのを覚えている。
当時人見知りが激しく友人のいない俺は、勉強で周囲を見返すことだけが拠り所だった。
性格が悪いし、性根ではサボりたがりだから、今で言う真面目系クズというやつだ。
その表面的真面目ステータスの筆頭である皆勤賞が潰えてしまう…。
ガックリきてしまった。
入院が決まるとまずは入院の準備だ。
子供の頃から通っている病院だが、入院となるとどことなく印象が違う。
売店でスリッパを買った。
母と姉に図書館で「まんが日本の歴史」を借りてきてもらった。
(俺は日本史が不得意なので勉強の補助のつもりだった)
窓からの風景から思い出すに、病室は三階ぐらい?の高さだったと思う。
西向きの窓からは小さな島々と海が見えた。
小高い斜面から見下ろす格好だ。
T字通路の突き当たりの四人用部屋。
ドアから入って左奥の窓際が俺のベッドだ。
同室は中学生ぐらいの大人しそうな男の子が一人だけだった。
入院生活は人生初体験だらけだった。
まず、慣れない点滴を引きずる生活は不便だった。
「針が刺さってますからチューブに力かけないでくださいね」
と看護師さんに注意された。
びびりの俺は針が折れたらどうしようと、おっかなびっくりの生活を送った。
最後針を外したときは針と一緒に血の塊?がビロビロッと出てきて驚いたもんだった。
病人食も初めてだった。
まずくはないが、味気のない食事。
なんとなく漂う老人っぽい、病院っぽい臭いで、食欲はいまいちそそられなかった。
慣れない食生活とストレスのせいか、汚い話だが見たこともないゴッツイ一本糞が出て、和式便器の水量ではまったく微動だにしなかった。
恥ずかしながら同室の男の子の力を借り、ティッシュをうまいこと使って流し事なきを得た。
これをきっかけに人見知りの俺も同室の男の子と打ち解けた。
勉強を教えてあげたりゲームの話をしたりするようになった。
そんなこんなでワアワア過ごした病院生活も4日で終わり、無事退院となった。
同室の男の子は涙目で見送ってくれた。
社会人になった今では、日本にいるならいつでも会えるてなもんだが、当時自転車しか自力での移動手段を知らない自分にとっては、今生の別れだと感じてとても悲しかった。
皆勤賞が無くなったのは惜しかったが、入院もなかなか出来る経験ではあるまい。
いい思い出にはなったかな。
この10数年間そう思っていた。
先日、親父と電話で話した時のことだ。
入院している叔母の話になった時、ふと思い出して自分の入院話を持ち出した。
入院も長いとしんどいんだよなー。
俺もあの時はさー…
『あの時はなー…』
という返しがくると思ったのだが、親父の反応が悪い。
どうした?と聞いてみると、
『お前こそどうした?』
と逆に聞かれてしまった。
いやだから俺の入院の話。
『お前入院なんてしたことないだろ』
え、いやだから俺の入院の話。
『まじでどうした?』
よくよく親父と母と話してみると、俺に入院の経験は無い。
姉に聞いても同じことを言う。
皆勤賞もしっかりもらって実家にある。
でもあの病院での日々は、生々しい経験として記憶にある。
『そもそもうちの馴染みの病院から、海なんて見えんだろうが』
そうなんだ。
矛盾で頭が混乱している。