仮に友達をA、彼女をMとします。
そのダムは山奥にあって、周りには民家もないし、灯りひとつない真っ暗な場所。
ダムの前まで車で行き、二人とも下車。車のライトを消すと、下車するのを戸惑うくらい真っ暗。
しかも物音ひとつなかった。あまりの静寂に耳が痛くなったらしい。
ダム自体の上面は、橋みたいな造りで、向こう岸まで続いている。向こう岸までの距離は
50メートル以上。
とりあえず、その橋を渡って、向こう岸まで行ってみようって事になった。
AとMは、寄り添いながら、ゆっくりその橋を渡る。
Aの視界の右隅に人が立っている。
橋の手すりの上に立っているようだ。距離にして3メートルくらい先。
恐ろしくて直視できないし表情も分からないけど、髪の長い女だと分かった。
驚いてピタッと立ち止まる。
どうしたの?とM。聞かれた瞬間、彼女には見えていない事が分かった。自分にしか見えていない。
「もう戻ろうか?」とMに言って、引き返す事になった。
引き返す途中も、後ろに気配を感じた。
あの女は、手すりの上を歩いて、Aたちの後を付いて来ているのが分かった。
Aは、走って逃げてしまいたいくらい怖かったが、気付かない振り、何も見えていない振りを
通したかった。
それは、熊と対峙した人間が、死んだ振りをする心理に似てるんだと思う。
まぁ死んだ振りしても食われちゃうんだけど。
しばらく震えながら歩くと、後ろから女の声が聞こえる。
「見えてるの?」
Aは悲鳴をあげそうになるが、何も聞こえなかった振りをした。
Mには実際に何も聞こえなかったようだ。
「ねぇ」
また女の声。
後ろからの呼びかけを完全に無視して歩く。いつしかその女は、Aの真横の手すりまで迫っていた。
しばらく歩くと、女は立ち止まり、もう付いて来なくなった。
Aは少しホッとしながら歩き続ける。見て見ぬ振りをして正解だったと思った。
しかし予想もしない事が起きる。
Aは一瞬にして、思った。あの女が橋の上から、水面に飛び降り込んだのではないか?と。
「今の音、何?」とM。Mは手すりから下を覗き込んでいる。
Mにも聞こえた?って事は、あの女じゃない??
そんな事をぼんやり考えつつ、Aも恐る恐る下を覗き込む。
あの女がいた。
水面から上半身を出した状態で、目を見開き、こっちを見上げている。
そして目が合った。
その瞬間、女はニヤリと微笑んだ気がした。
その時Aは思ったらしい。騙された。罠にはまった。と。
きっと、あの女は認識したに違いない。「見えている」と。
やはりMにはあの女が見えないようで、水面を見回しながら、さっきの音の主を探し続けている。
Aは「Mは本当に見えないのか?」と半切れ気味に問いかける。
Aの剣幕に、何も見えないMも怯え始めた。
水面に目線を戻すと、あの女は、まだこっちを見上げていた。
女の体が少しだけ浮いた気がした。ふわっと。
その瞬間Aは、Mの手首を握って、死に物狂いで車まで走った。
女がふわっと浮いた瞬間、「来る」と思ったらしい。
それからドリフト族の如し山を下り、少しでも人の多い場所を求めて車を飛ばした。
気配を感じる時は、風呂にも入れないらしい。
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