私が生まれ育ったのは、四国の片田舎にある築年数3桁の古めかしい家。
昔は地主だったとかで、敷地と家は無駄に広く、3つの池と大きな蔵がある。
そんな古い日本家屋には、怪談話に出てきそうな要素も盛り沢山。
光のあまり差し込まない薄暗い蔵、埃被った桐箪笥や長持などの古民具。
押入れの中にひっそりと積み上げられている掛け軸、日本刀、人形にお面。
月明かりを受けると、ぼんやりと浮かび上がる池の中の鯉や庭木の陰の石灯籠。
ずいぶん昔に火元になったとかで、床・壁・梁に至るまで炭化した真っ黒の部屋。
しかし、私が唯一怖いと思う場所は「陽当たりの良い縁側の、天井の一角」だった。
縁側で寝転んで、何となく天井の一角を見つめた時、視界がどんどん暗転したからだ。
「え?」っと思って我に返ると視界は正常に戻るのだが、再び見つめるとまた暗転。
家の何処を見つめても何ともないのに、そこだけは10秒と見つめることができない。
気味が悪かったが「光か何かの錯覚だ」と子供心を誤魔化し続けた。
それから数年の間に、家族が次々と病気で倒れた。
曾祖母は肝硬変と白内障が劇的に悪化、失明した眼球は真っ白になるほど濁っていた。
祖母は細身で1滴の酒も飲まないのに、取っても取っても肝臓に悪性腫瘍ができた。
祖父に至っては、食道に違和感を感じたその段階で末期の癌。間もなく亡くなった。
「確かに皆、いい歳ではあるけど、こうも続くと気味が悪いじゃない?」
迷信を信じないタイプの祖母が、厄落としに拝み屋を呼ぼうと言い始めたのは、祖父の葬儀直後のこと。
両親は「まぁ、心の整理みたいなものだよね」と快く了承した。
私は生意気にも、そういうのはインチキだろうに…と内心思っていた。
どこにどう話をつけたら拝み屋を呼べるのか、当時子供だった私には解らない。
何時どうやって手配したかも定かではないけど、後日私の家に拝み屋は来た。
お遍路の衣装である白衣(びゃくえ)・半袈裟に似た装備の中年女性だった。
家を隅から隅までゆっくりと見て回る拝み屋に、祖母と母と私が付いて歩く。
(きっと古民具や炭化した部屋のような、いかにもなものを祓うに違いない)
そう思っていたのだが、拝み屋はそれらをスルーして、台所で足を止めた。
「床下に潰してない井戸があるでしょう?流れの無い古い水を放置するのは良くない」
祖母と母が驚いて床下を確認すると、そこには黒い水を湛えた縦穴のような井戸があった。
そして踵を返した拝み屋は、縁側の天井の一角を見据えて「ここが1番良くない」と言い、
念仏のようなものを唱えて塩を盛ると、特に何の説明をすることもなく帰って行った。
祖母と母は拝み屋を見送った後、
「さっきは驚いたけど、昔は台所に井戸場は付き物だったしねぇ」
「リフォームした様子も無い古い家だから、潰してないと踏んだのかもねぇ」
と半信半疑の様子で笑い合っていたが、私だけは恐ろしいものを見た様な気分だった。
その後、曾祖母の肝硬変は小康状態が続き、90歳をゆうに超える歳で大往生した。
祖母の悪性腫瘍も、どういうわけか肝臓の「決まった場所」にしか出現しなくなる。
その場所さえ定期検査したら超早期発見…と非常に治療が容易で、医者も不思議がる始末。
80歳を超えて腎不全で亡くなるまで、はつらつとしていた。
未だに、一連の出来事はただの偶然だったのか否か、思い悩むことがある。