百物語に向けてネタを探していた俺は、飲み会でそう切り出してみた。
結構みんなノッてくれて、中々の収穫があったのだが、今回はその中でも特に印象に残った、N先輩に聞いた話をしたいと思う。
N先輩は学生時代の夏休みに、夜間警備のアルバイトをすることにしたそうだ。
配属されたのは古い製薬会社のビルで、詰所に詰めるのとは別にベテランのOさんと二人でローテーションを組み、日に二度、定期的にビルの巡回を行うこととなった。
アルバイトを始めてから1週間程経ち、慣れて来たN先輩は一人、深夜のビルの巡回に出向いた。
そして、2階の廊下の突当りで妙なものを発見した。
「あれ、濡れてる」
ちょうど一跨ぎで飛び越せるかどうか、くらいの大きさの水たまりがあったそうだ。
N先輩はどこかで掃除道具でも探して拭こうかとも思ったんだけど、なんか危ない薬品だったら嫌だな・・・と、一旦そのままにして巡回を終わらせ、Oさんに判断を仰ぐこととした。
N先輩:「Oさん、廊下に水たまりがあったんですけど、薬かなんか撒いてあるみたいな報告ありました?拭いた方がいいなら行ってきますけど」
そう問いかけた途端、Oさんの顔色が変わった。
Oさん:「どこで見つけた!?」
N先輩:「へ?いや、2階の廊下の突当りですけど。やっぱりあれ薬品かなんかだったんですか?」
Oさん:「そうか・・・・・・。いや、アレは触らんでいい。今後見つけても絶対に近寄るな」
Oさんが苦い顔で念を押したので、Nさんはそんなにヤバい薬品だったのか、触らなくて良かったと胸をなで下ろした。
場所は様々で、玄関ホールにある時もあればトイレの中にあるときもある。
大きさも形もいつも同じくらいで、軽く匂いを嗅いでも無臭だし、色もない。
段々N先輩は、この水たまりがなんなのか気になって仕方がなくなってきてしまった。
そこである晩、ついにアクションを起こすことにした。その日、巡回中にいつもの水たまりを発見した。
場所は奇しくも最初に発見した2階の廊下の突当りだった。
N先輩はポケットに忍ばせていた物を取り出した。
用意していた、スポイトとビニール袋だ。
これでこっそり液体を持ち帰り、薬学部の友人にでも分析をしてもらおうという算段である。
跪いてスポイトを水たまりの中央に突っ込む。
意外に深い・・・。
すると突然、スポイトがぐい、と強い力で引っ張られた。
N先輩は驚いてバランスを崩してしまい、水たまりに伸ばしていた手を着いてしまう。
ところが、手は床に触れることなくひじの辺りまで突き抜けてしまい、そして、何かが手首を掴んだ!
そのままもの凄い力で、水たまりの中に引っ張られる。
N先輩:「なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ」
パニックになりながらも、N先輩は必死に引きずり込まれまいと腕を引き抜こうともがく。
まるで手首にロープを巻き付け、何人もの人が引っ張っているかのようだった。
N先輩:「もう、ダメだ・・・」
肩まで引き込まれ、諦めかけた瞬間、パシャン、と何かが水たまりに落ちた。
胸ポケットに差していたボールペンが弾みで落ちたらしい。
ボールペンはそのまま、すぅっと水たまりの中に消えていく。
その直後、引っ張られる力が不意に弱まったのを感じた。
N先輩:「「うごおおおおおおおおおおおお!!!!!」
渾身の力を込めて、N先輩は腕を引き抜いた。
話は飲み会の席に戻る。
俺:「それで、どうなったんすか?」
N先輩:「それで終わり。詰所に逃げ帰って、また次の日から普通にそのバイトもしてたし、やっぱり水たまりは色んなとこに出来てたな。まあ、流石にもう近づけなかったけど」
淡々とそんなことを言うN先輩はちょっとおかしいと思う。
N先輩:「でもさ、俺、見ちゃったんだよね」
俺:「何をです?」
N先輩:「暗かったし、ほんの一瞬だったから見間違いかもしれないけど」
N先輩はぐびりとビールに口をつけると、意を決したように教えてくれた。
N先輩:「腕を引き抜いた瞬間、俺を引っ張ってたやつが見えたんだよ。消炭みたいに真っ黒で、なんかもの凄い長かったけど。アレ、人の手だった」