中学生の時、一時期関西に住んでた。大阪と兵庫の間。
中学生の時、一時期関西に住んでた。大阪と兵庫の間。
そこで初めての彼女が出来、親しい友人も出来た。3人とも学校も塾も一緒だった。
友人と京都に行き、そこで彼女が塾講師の大学生とデートしてるのを見てしまった。
その場は何とか取り繕ったけど、友人をジュース飲んでる内に耐えられなくなって、俺は
先に帰ると逃げ出した。
それで近くの駅から電車に飛び乗った。
俺たちの最寄り駅は阪急沿線だったけど、飛び乗ったのは京阪だった。
泣いてた俺は不気味だったと思う。いつしか泣き疲れて、俺は寝てた。
気がつくと、知らない風景。寂れた町が夕焼けに照らされていた。
俺はその駅で降りた。乗ってた電車を見送って、ベンチに座った。
ふと見ると、他の線路が延びてる。
京阪から阪急に乗るには、京橋でJRに乗り換えて大阪駅から阪急に乗るのが早い。
京橋ってまだ先だったかな?と思いながら、伸びている線路のホームに近寄った。
複線で、駅名が「蒲生」ってなってた。
京橋じゃないのか・・・と思いながら、そのホームで電車を待った。
やがてやって来た電車は、焦げ茶の古くさい電車だった。
カタタン、カタタン。と走る電車に揺られながら、講師の腕にすがりついた彼女を思い出して又泣いた。
そうしたら、近くに座っていた婆さんが、飴をくれた。昔よくあった、三角形のいちごあめだった。優しい味がしたな
立派な男の子が泣くなと慰められて、俺は声を上げて泣いた。
彼女が他の男とデートしてたこと。友達を置いて逃げ出してしまったこと。彼女とは家が近所な事。
家に帰りたくない、彼女と顔を合せるのが辛い。そう言って俺は泣いた
婆さんは俺の話を聞いて、頭をなでてくれた。
そうか。泣きたいならうんと泣け。私はあかい?で降りるけど、それまでこうしてやるから。
俺は膝に突っ伏すようにして泣いた。婆さんは、頭をなでていてくれたと思う
それで気付いたら、俺は梅田の地下街をふらふら歩いてた。
気がついて、慌てて阪急の乗り場に行って家に帰った。
家では親にげんこつで殴られた。それで、友人に電話しろ。心配してるからと言われた。
彼は俺の親に、京都で喧嘩して分れてしまった。俺が原因です。と言ってくれてた。
彼女とはそれで別れて、2年経たないうちに親父の転勤でその町を離れた。
ただ、俺が乗った電車が今でもよく判らない。
蒲生って地名はあるけど駅はないし、あかい。って駅もない。
でもあの苺みるくの飴の味は覚えてるし、婆さんの手の感触も覚えている